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カテゴリ:人生観
ようこそ、お越し下さました。 いよいよ、シーズンがやってきそうです。 ドデカい台風と言われていた8号も、 尻つぼみ状態で網地島の脇を通り抜けました。 船も上架し荒天対策を施し、 万全で迎えたのでしたが、一安心でした。 網地島の海開きは、 例年海の日辺りとなっていて、 今年も7月19日となってます。 シーズンに向け、ペンション内のあちこち修繕したり、 システムを変えて設備を作り直したりと、 忙しく動いている昨今です。 そのすべてが人に頼らず、 自分一人でこなすことに喜びも感じております。 その結果、お客様に喜んでいただけることに繋がるととを信じて・・・ 島に移り住んで20年が過ぎ、 少しずつではありますが残りの人生をどう生きて行きたいのか、 モヤが薄れていっている気がいたします。 表題に掲げた「自分を薄める」という事。 これは、自分色を薄めること。 自分の我を薄めること。 仏教の修行の根幹をなしていることが、 この事に尽きるのではないかとすら感じられる、 奥の深い境地です。 「自分が・・・」という思いを薄くして、 万物の存在を尊重し、 あらゆることを受け入れ 「許せる」心根か。 私の若い頃、何が好きなのか、 女性観は、人生観はと、 何もかにも決めてきた生き方でした。 そして、自分の枠にはまらない人やモノや生き方には、 一切受け入れることをせず、 自分色をより強く出そうと 戦いの場に挑んでいた。 そして勝ってきた。 勝ってきたと思ってた。 それが60歳を少し越した今、 勝ち負けなんて何もないことに気付く。 若い頃は、何が好きで何が嫌いという事がはっきりしていた。 そして、嫌いなことはことごとく排除してきた。 つもりだった。 だけどこのことも年を重ねた今、 何が正しくて何が悪いのか 解らなくなってきた。 自分の見方では悪と思えたものが、 その見方を変えれば悪ではなくなるのだ。 元々善悪とは、この宇宙には存在しないからだ。 人の都合が絡んでくると、 そこの善悪が浮かび上がる。 何が好きで何が嫌いかも曖昧だ。 どんなことでも受け入れられる 自分でありたいと思ってる。 自分色が薄れてきた。 変な言い方だけど、 薄れてきたけど 濃くなってきた。 自分の心の中に沸々と湧いてくる 「こう生きたい」という求道の心は 揺るぎないものになってきている。 自分の人生の「仕上げ」をするために島に移り住んだ。 「自我」を薄め、「真我」を育むために。 真我とは、 天の意思に沿った生き方をしたい とする願望だ。 私の場合、子供たちがそれぞれ独立し、 何かの為に生きることを卒業することを許され、 自分やカミさんのためだけの時間が作れるのは、何と幸せなことか。 若い内は、食っていくために家族を守るために、 しゃかりきになって仕事をし、 突っ張って生きるもよし。 そしてある時、もう一度自分を見つめ直し、 本当の自分を見つけるのかな。 ただ、食っていくためにのみ 今生の天寿を浪費するのは、 ちょっともったいない気がするね。 我が家のデッキからの夕焼け 冷えたビールが旨い時間です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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