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カテゴリ:人生観
ようこそ、お越し下さました。 いよいよ9月、夏が終わり秋に滑り込みました。 長かったようで、短かった夏。 例年の事ではありますが、 今年もまたお客様からのいただきものに溢れました。 シーズンを告げる海開きの7月19日から今日まで、 めったに島を出ません。 今年は1回あったか。 買い出しや仕入れは、 すべてネットショップや 買い物を代行してくださる業者さんに まかせっきりで、島に居ながらにして 楽をさせていただきました。 その代わりと言っては何ですが、 お客様がいろんな土地土地の 産物やら名物やらを お土産に持ってきてくださりました。 我が家の女性軍は、 都会の香りがする 洋菓子や和菓子なんかを いただいては歓声を上げておりました。 私が酒好きと知ってか、 美味しいお酒もたくさんいただきました。 有難いですね。 きっと、何もない 島に閉じ込められた状態の我らに、 愛の手を差し伸べて下さったのでしょう。 (ジョークです・・・笑) 何もないと言ったのは物質的な物がないのであって、 人が生きていく上での必要なものは、すべて揃っていますよ。 本当に心優しい方ばっかりで、 癒しを与える立場に居ながら、 逆に癒されている私達。 その方達とも来年の再会を約束して、 今年の夏の幕を引きました。 いただきものが多いと書きましたが、 いただきものは物だけではありません。 その方の心優しい“愛”が、 大きなエネルギーとなって私達に降りかかります。 まるで、須弥山に降り注ぐ“甘露”のように。 島民の方々も、私達スタッフが 何故か何がしかの島の為になっていると思ってくれているようで、 「あと少しだから頑張らいよ~」とか 「疲れ起こさねーようにな~」とか 声をかけて下さいます。 ご自分で丹精込めて作った 野菜も届けて下さいます。 「なにごとの おわしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」 西行法師が伊勢で詠まれた、有名な詩句ですね。 どんなお方【神】がいらっしゃるかは解らないけど、 こうして生かさせていただいていることが、 涙がこぼれるほどにありがたい。 きっとこの時、「大いなる存在」を 身近に感じたのでしょうね。 私も、いつも見守って下さっているその存在に、 心震える時がままあります。 心に「神」を宿している者は、 何も恐れることも不安もありません。 この喜びを「至福」というのでしょうね。 滅多に食べられない美味しいものを食べた時とかの、 肉体が満足するような3次元的な単なる喜びでは 本来は「至福」という言葉は使わないのではないか。 「神」との一体感を感じた時、 初めて「至福感」が体中を巡るのでしょう。 だから、私にとっての網地島の生き方は、 仏陀の入滅後56億7千万年後に 弥勒が降臨して衆生を救済すると言われている 「弥勒の世」といった感じかな。 (他の古い経典では3000年後とするものもあるようで) でも、そういう世は誰もが等しく 訪れるものではないと思います。 救済という概念も、 人それぞれ違いはありますが、 アセンション(次元上昇)という事でしょうね。 仏教的に言えば、 往生(おうじょう) という事でしょうか。 往生とは 「往生の本来の意味は、 仏になり悟りを開くために、 仏の国に往き生まれる事である。 よって、往生の本義は、 ただ極楽浄土に往く事にあるのでなく、 仏になる事にある。」 往生 – Wikipediaより 「仏になる」と言っても、 その存在の階層も数多くあり、 奥が深いものがあると考えられます。 小学1年あり、大学院1年もありといった階層か。 我等の住む3次元は、 幼稚園か、それ以下の霊的階層かね。 天からの救済も、 霊的にその準備の整った人のみが 救済されるんじゃあないかな。 宇宙の仕組みは、個人の意思が最優先。 準備を整える気持ちのない者や、 準備の整わない人は、 その枠には入らない?! 宿泊業というお役目が一段落してくると、 こんな取り留めのない思考が体中を巡ります。 般若心経を唱えながらのウォーキングの時、 ふとそんなことを思っていることに気付きます。 島はいいよね。 経を大きな声で唱えながら 歩いたり走ったりしても、 誰も怪しむ人はいない。 だって、すれ違う人は 60分10kmの間、皆無だもん。 信号もないから、赤信号で止まることも無し。 心拍計から見えてくる運動量をチェックしながら、 自分のペースは乱されない。 夏の間、仕事と暑さのためあまり走れなかったけど、 今はようやく自由にエクササイズやってます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.09.05 08:06:56
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