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カテゴリ:人生観
ようこそ、お越し下さました。 先日、2か月ぶりにお休みをいただいて、 本土に渡りました。 私とカミさんの二人、 真面目?にシーズンを終えたご褒美として 2泊3日の時間をいただき、 7月半ば以来のお出かけです。 本土に渡り、どこに行くとも知れず、 買い物をしたり食事を楽しんだりと、 のんびりとした時間を過ごさせていただきました。 どこかの有名な観光地に行くこともなく、 2泊の宿は勿論キャンカーでのP泊です。 買い物は別として、 この間の費用は1万円を超えませんでした。 ガソリンも要れなかったから、食事代のみか。 朝と夕食はスーパーで食材を買い自炊して、昼は外食です。 たまの外食は、何を食べようかとワクワクします。 街は、多くの選択肢が用意されていますもんね。 都会はお金さえ出せば、 何でもと言っていい位 けっこうな物を揃えることができる。 これってある意味、罠ですよね。 お金さえあれば、豊かな生活が できると思い込ませられる。 「豊かな生活ができる」事と、 「豊かな生き方ができる」とは別物。 「豊かな生活」とは、 肉体的快適と精神的快適がありますね。 広めの家と庭と車、 健康な家族がいて 経済的に将来の不安が少ないのが 「豊かな生活」という事か。 でも、さらに突っ込んだ「豊かな生き方」とは、 金銭的には少し足らないかなと思えるけど、 請求が来れば何とか支払う事ができ、 贅沢はできないけど何とか家族が食べていけている。 家族や周りの友人達、地域を支え、支えられ、 喜びにあふれ、人を愛し、 笑顔で明るく、 愚痴や不満は言わず、 人に手を貸し思いやり、 いつも心で周りのすべてに感謝しながら生きる。 将来に不安はなく、 自分に不都合が起きても、 自分が蒔いた種の刈取りと思い、 不都合ですらも感謝できる、 そんな生き方が「豊かな生き方」なのかな。 心からの安心感は、 「天」を心に宿していないと得られません。 心の安心感、充足が得られないと、 心にぽっかりと空いた空白を埋めたいと 体と思考が勝手に判断し、 本能的に行動してしまう。 それが必要以上に物や金を集めたり、 3次元的ステイタスとされる 地位や名誉に執着してしまう。 それが、マスコミをはじめ 世の中すべてと言ってもいい位に煽り立てる。 それが、世の中の経済の活性化に繋がるからなのか。 いつしか、もの判断の基準は、 すべてメリットかデメリットかと いう損得計算になってしまう。 島に生きて、この恐ろしさに 改めて気づかされました。 街で生きてきた20年前までの私も、 まんまとこの仕組みに踊らされてきたことに気付く。 直観で何が好きなのか、 何が正しいのかという価値判断より、 目先の損得で判断してしまう。 311の時、断水のために使えないトイレで、 どこからか汲んできたバケツの汚水を トイレのタンクにこぼしながら入れて使ったよな。 コップ一杯の水で歯を磨き、 顔を撫でて髪を整え、 風呂にも入れない生活したよな。 あの「無い、ない、ナイ」を 経験させていただいた時、 物の有難さと大切さを学ばせていただいた。 その時と、今の物に氾濫、 「あって当たり前」という価値観に、 少しは反省しないといけないね。 なるべく、世間に踊らされないようにしたいよね。 そういう意味では、 たまに島から街に出てみるのもいいのかな。 まだ子供に手のかかる方にとっては、 「何を甘いこと言ってるの!」 なんて言われそう。 まあ、島に住んでる爺の戯れと思って 許してくだせえまし。 すんま村。 我が家から田代島の向こうを望む9月の夕焼け。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.09.23 04:44:51
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