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カテゴリ:人生観
ようこそ、お越し下さました。 明けまして、おめでとうございます。 昨年同様、今年も宜しくお願い致します。 前回の更新は、12月初旬だったか、 旅から戻ってでしたから、 ほぼ1か月ぶりのアップです。 旅から戻ってからの間、 いろいろと頼まれごとをこなしました。 新しく島に移住してきた方の 家の水回りの改造がそのほとんどか。 水道屋、電気屋、大工、タイル屋、ガス屋と大忙しでした。 その工事が終わったのは、大みそかに近い頃。 頼まれ事って、とっても嬉しいですね。 私をあてにしてくれている。 必要とされている。 頼りにしてくれている。 だから、相手に喜んでいただけるよう、 自分の持っているすべてをそこに注ぎ込める。 足らざるを満たし合う。 とってもいい感じですね。 頼まれ事がこれで終わったわけではありません。 まだまだあるんですよ。 徐々にやって行こうかな。 奈良、初瀬の長谷寺の本堂に行く回廊。 399段あるゆったりとした石段は、 仏の世界に導いてくれる。 さて、旅から日常の生活に戻り、 旅の日々を振り返る。 今回の旅で、強く感じたことがあります。 それは、 人や世間に惑わされず、 自身の信念でこれからも生きようという事。 世間の流行とか常識とか、 人がどうしたとかは 私にとってどうでもいいことであるという事。 衆生や世情に一喜一憂せず、 自身の道を行くことが 私に求められていることなんだと。 しかし、人や世間を無視するという事ではありません。 衆生や世情を受け入れ調和した上で、 自身の信念のままに生きるという事です。 明治維新に導いた薩摩藩の 西郷隆盛の言葉にこんなのがありましたね。 人を相手にせず、天を相手にせよ 天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、 我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし 南洲翁遺訓 とてもこの境地には、 行けども行けども行きつかず、 程遠い自分ですが、 「天を相手にする」 という部分には大きく共鳴します。 私の理想とする所です。 高い高い山です。 でも、登れない山ではないと思い込んでおります。 “自分には無理”という思考は、 自分の心の中で“無理な山”にしてしまう。 「思い」というエネルギーは それほど強いと思われます。 今までの60年の私の生き方は、 ほとんどが「やればできる」と強く信じて生きてきた。 そして、今まで何とかなってきた。 今生の人生を仕上げるために、 この島に移り住んだ。 どうすれば仕上がるかは、 このブログで書いてきた。 衆生や世情を相手にせずに、 天の望む生き方をしよう。 このことは、3次元での生のみならず、 次の生でもこの課題は続くことでしょうね。 長谷寺の本尊の十一面観音様。 十一メートルもあるお姿は日本最大とされている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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