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カテゴリ:人生観
ようこそ、お越し下さました。 間もなく4月、春ですね。 我が家の桜も、このところの暖かさで 2、3日前に開花しました。 ソメイヨシノではありません。 我が家の十数本の桜の中では、 この木が毎年一番乗りです。 春になると、何かと忙しくなります。 まず磯が開きます。 (海藻類を採ってもOKな時期ということ) フノリからスタートして、 ヒジキ、ワカメ、岩のり、そして貝類。 山では山菜が芽を吹き出します。 お客様も、ちらほらと島に遊びに来られます。 ペンション内の設備も、 夏のシーズン前に不都合なく メンテナンスしなければ。 冬が終わって、次の冬に備えて薪作りも・・・ そんな雑事と思えることが目白押し。 その雑事をおろそかにしてはいけません。 “小事に忠なるは、大事にも忠なり” なんちゅう誰かさんの言葉もありますね。 雑事をおろそかにすると、 “小事に忠ならざるは、大事にも忠ならざるなり” となっちゃう。 小さなことでも、 「誠」 を尽せることがいいように思いますが、 それが難しいね。 人の一生って、 何かを掴みたい、 幸せになりたいというような 思いを実現するために、 努力しますよね。 何かを掴む、幸せになるって どうすればなれるんだろう。 人は、知らず知らずに その一生をかけて 繋がりを求め続けるもの。 家族や友人といった人との繋がり、 世間との繋がりを大切にします。 問題は、どんな存在と どのような繋がり方をするかが大切と考えます。 人の寿命は短いもの。 諸行無常とはこの世の常。 万物は一時として留めることは叶わず、移ろい行く。 今生の生を全うした後も、 繋がって生ける、 そんな存在ってなんだろう。 それは、移ろいやすい人やモノや世間よりも、 不変なる大いなる存在との繋がりができれば、 これに勝る喜びはないと考えます。 裏切られることはなく、 安心できる、安らぐ繋がりです。 大いなる存在=私は「天」と呼んでおりますが、 どうしたら「天」と繋がることができるか。 私の場合はどうやって今まで来たか。 試行錯誤の連続の中で、島での移住を機に、 都会で40数年間生きてきた繋がりを、 いったんは捨て去ったことから始まります。 あとは続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.29 07:34:22
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