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2015.12.16
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カテゴリ:人生観



ようこそ、お越し下さました。


最後にブログをアップしてから、

どのくらい経ったのか確認したら8月23日が最後で・・・

大変なご無沙汰でした。

充実した夏が終わり、もはや冬。

大して忙しくもないのに、

ブログに目が行きませんでした。

時間のある時は自然の中に身を置き、

家にいては本読みをしているか。

旅と言っても、キャンピングカーでの長旅は出来ずで、

せいぜい3~4日程度か。

長旅は、来年正月からなんとか行けそうです。

そして毎日が楽しく、

意味ある日々を過ごしております。



禍福は、糾える縄の如し


とは、昔からよく言われる言葉ですね。

幸せや不幸せは、

まるで撚り合せた縄のように

交互にやって来る、

幸せはいつまでも続かないし、

不幸もまた同じ。



不幸と思っていたことが、

幸福の始まりだったり、

幸福の絶頂だったと思いきや、

奈落の底に突き落とされたようになるような。


確かに、そう言われて久しいのですが、

私の場合は、これに当てはまらないというのは

どういう事なのでしょうか。


その人の考え方で、

一つの出来事が幸にも

不幸にも思えるのも事実。


不都合と思える出来事を、

与えられたチャンスだと考えて受け入れることは、

「災い転じて福となす」ということでしょうね。




都会の生活に見切りをつけ、

島に移り住んで、はや23年?

初めの頃は、人並みに禍と

思えるようなことがあったかも。

しかし、もうずっと長い期間、

不都合と思える出来事はなかったし、

幸せいっぱいな日々。

感謝の毎日が続いております。



カミさんのほんわかした

幸せそうな顔を見ているだけで、

私はとっても幸せな気分に浸れます。

何かハッピーな事があると、

「本当に有難いね。」「そうだね。」と言い合います。



体調の不調は少しありました。

65年も何とかお付き合いしてくれている我が肉体も、

少しはガタがきている模様。

歯が痛くなったり、

ジンマシンが出たりと

その程度のことはある。



「諸行無常」という、

形あるものは同じ状態を保つことは

一瞬もないとされる。


でも、精神というか、

霊性というか、心の在り方は形のない存在だ。



心の在り方で、現実とされる目の前に展開されることが、

自身の思いに近づいてくると言う不思議を体験しております。


どう生きればこうなったのかは、

折に触れこのブログに書いております。

今の時期が、「打てば響く」時期なのでしょうね。

やることをやれば、すぐに返ってくるという事。

少し前までは、打ってもなかなか響いてくれませんでした。



どんどん二極化が進んで来ていて、

波動の高い方向を目指せば、

考えられないくらいのスピードで

加速されて行くのでしょうね。


ここで言う二極化とは、

高次元的方向と低次元的方向とに

人は分かれていくという事。

高次元的方向を目指そうと意識した途端、

人はどんどん引っ張られて行くように

幸福感に満たされる体験をすることでしょう。



私の65歳という年齢は、

そろそろ「死」を意識する頃か。

周りで、友人だった人が突然に

亡くなったりとかしています。



私の「死」に対する概念は、

今でも少しも変わってはおりません。

「肉体の死」は、大いなる「生」のほんの1ページ。


今生の生に区切りをつけて、

次の表現の場に移行することと思っているため、

悲しいことではありません。




今の「生」は、次の「生」に続く道です。

どんな「次の生」にするかは、

「今の生」にかかっています。

だから、「今の生」が

衣食住を満足させる為だけに

汲々とせずにいられたらいいね。



そしたらば、余った時間やエネルギーやお金を、

自分が本当にしたいことをやれる。

人と争う事もないし、

飢えることもない。

皆がそうなれたら、

とっても豊かだね。

DSCF6552.jpg

埼玉県川越市にある喜多院の5百羅漢像

40年近く前に、仕事で壁にぶち当たった時によく訪れた場所でした。

当時は、こんなにすっきりとはしていなかったな。

羅漢さんは、仏道を究めようとする求道者。

当時私は、羅漢さんに憧れていたことを思い出す。








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Last updated  2015.12.16 09:42:19
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