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カテゴリ:人生観
ようこそ、お越し下さました。 いよいよ4月、 ペンション晴耕雨読の夏季シーズンの 予約受付が4月1日からスタートします。 今までのんびりとしていた分、 いよいよ始まっちまうという 「喜びと諦めと、感謝」とが心の中を交錯します。 港内周辺では、震災から5年がたち、 港やそれに付随する施設の復旧が 急ピッチで進められております。 島は、それほど震災の影響は受けなかったこともあり、 また高齢の方が多いこともあって、 復旧に目くじらを立てることもなく、 静かに見守っております。 ただ、復興が佳境に入ったことで、 行政区の役員をしている私としては、 何やかやとやることや決めるべき事柄も多くあります。 どう工事を進めていくか、 どのようにしたらいいのか、 工事業者と住民、そして役所との三者で どんどん決めて行かなくてはいけません。 どうせ、復旧工事でやって下さるのですから、 住民の声を大きく反映させていかないと、まずいですよね。 さて、冒頭の言葉、 「雨を願ったら、ぬかるみも覚悟せよ」 厳しい言葉ですよね。 何かを願ったり得たいと思ったら、 その代償を支払えという事。 この原理は、宇宙の真理の一つと言えますね。 皆さんご承知の「因果応報」という仕組みですね。 原因があって結果があるという事。 やったことに等しく、 その結果が現れる仕組み。 いくら、神社仏閣で手を合わせても、 やった分以上のご利益(ごりやく)は 期待できないという事、 だから、願うという事はそれに見合った 努力をしなければ何ら意味をなさない。 ねっ、厳しいでしょ。 ぶっちゃけて言えば、 「やることやんなきゃあ、何も変わらねえよ。」 ということなのか? いや、そうではないようなんです。 もう一歩突き進めると、 努力するという行動もさることながら、 何を考え思い、どんな想念を発したか が問われるんですね。 「やることやんなきゃあ」というと、 行動という動きに目が行きます。 実は、そうとも言えないんです。 むしろ、やった行動よりも、 何を思い、何を考え、 という心の中の「動き」、 想念の方がむしろ重要なのかもしれません。 行動は、傍から見ていて解り易いですが、 その心の中は見えません。 代償という言い方をすると、 何かの犠牲を伴った義務的な印象を受けますね。 仕方がないから、代償を支払おうというふうに。 ここでは、いやいや代償を支払ったとて、 それはあまり効果が得られないようです。 じゃあ、その代償ってどんなもの? 私が思うには、 忍耐や我慢 といった事ではないように思われます。 昔から、好きなものを断って 願いを成就させようとする 茶断ち、酒断ちみたいなもの。 「こんだけ好きなものを断って我慢するのだから」として、 その見返りに願いを叶えて欲しいと願う。 その気持ちは解りますけど、 辛い我慢と事の成就の因果関係はあまりないようです。 ここで言うところの代償は、 宇宙の真理である「調和」に戻すという事。 これに尽きるようです。 この話になっちゃうと、 長くなっちゃうんだけど、はしょります。 この「調和」の世界に入ると、 幸せを願わなくても幸せになっちゃうという仕組みです。 私の場合は、まだまだその入り口に立っている程度です。 でも、それだけでも私の世界は大きく変わってきています。 いやな思いをすることが大変少ない。 不都合な出来事があまりない。 いやなことや不都合が仮にあったにせよ、 それが嫌なことや不都合に思えなくなってくる。 「何かを願ったら、調和に生きよ」 どうしたら調和に生きられるのかは、 当ブログでちょくちょく書いています。 次回に続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.03.31 08:26:42
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