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2016.07.01
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カテゴリ:人生観


ようこそ、お越し下さました。




今日から7月。

いよいよ、夏季シーズンが近づいてきました。

6月は総じて忙しい日が多かったな。

お客様の対応だけでなく、

夏の準備や行政区の役割も多くあり、

キャンピングカーに乗り込む日もなかったな。

これも与えられたお役目。

嬉々として、一つ一つに誠をもって

あたらなければいけないですね。




ここ何回か、今生での人生の晩年に向かうにあたって、

どういう節目に当たっているかを

私の人生を通して書いてきました。

幼年期、少年期、青年期、壮年期、熟年期、

そして晩年期とに分けてみると、

その年代ごとに、適切に学ぶべき物事があり、

最後の晩年期において、

一応の完結を見るというシナリオでしょうか。

晩年に至る前に病や事故で

今生の生を終える人もおりますが、

それはそれで別の意味がそこには

存在しているのでしょうけどね。

理不尽と思われがちな出来事も、

過去生からの因果応報という

ルールにのっとって進まれるようです。

それは、長い長~~い目で見たら

私たち一人一人の幸せに繋がる刹那の不幸に

見える現象なのかもしれません。



一人の人生の成長の段階と、

日本民族のあるいは人類の成長段階も

幼年期から始まって晩年期に至ります。

人類の幼年期から青年期にかけては、

食べるために獲り尽くしてきた狩猟的段階から、

農耕や酪農といった、獲り尽くすより

育てて生産するという段階で、

初めてその土地に定着するようになり、・・・

分業化が起こり、・・・

産業革命が起こり、・・・

もっと物質的豊かさを求め、戦争に走り・・・

こんな風に人間の進歩を遂げてきましたね。



外国はともかく日本の民族は、

人生の晩年期と同じような成熟期に

入ってきたような気がします。



自然を破壊し欲望をエスカレートさせてきた愚かさに気付き、

人と争う愚かさに気付き、

たくさんのお金を持つ豊かさより

心の豊かさを求めるようになり、

量より質を重んじ、

スピードを速めるよりも、

ゆっくりとした時間を楽しむような

人が増えてきました。


依然として、まだお金至上主義の方も

大勢いらっしゃいますが。

まあ、それが悪いという事ではありませんが、

精神性とのバランスが大切だと思います。



完結すべき人生の晩年期に入っても、

なおかつ金銭や名誉欲に拘りと執着を

断ちきれずにいる方は、

とっても悲しむべきことですね。



それはさて置き、私個人の足跡と、

人類が残してきた足跡がなんか

似通っていることに気付きます。

そうすると、これから進む方向は解ってきます。

そうです、精神性の成熟とでも言いましょうか、

霊性の昇華が私達の進むべき方向性なのだと確信いたします。

また、この方向性が「天」という

創造の大いなる存在の願っていることであり、

宇宙の真理なのでしょう。



一つの一生で、そういう方向に生きられなかったら、

次の生でこれに挑戦します。

それでも駄目で、

また生まれ変わってやり直しをする。

でもやっぱり成熟の完結に至らなく・・・

こんな輪廻転生を何十、何百と

繰り返してきたのでしょうね。

でも、私達は生まれ変わる度に

前世の記憶をすっかり消されて

「オギャー」と生まれてきますので、

生まれる前に確認した

「何のために生まれ変わるのか」

という事を心の奥の奥にしまったまま、

日々の生活に流されて行きます。



今、その蓋をされた記憶を徐々に思い出すというか、

「あっ、このことが俺の生きる理由なんだ!」

と気付き始めている人が増えてきていると聞きます。




肉体の死と、次の生まれ変わる生の狭間、

これをチベットではバルドと言うそうです。

「チベット死者の書」はバルド・ソドルと言われ、

バルド=中間、ソドル=教え、

死と生の中間における教えの書ということでしょうか。

バルドは4次元とも、

そういう場所とは別の亜空間とも言われているようで、

一旦そこに留まり次に行く所が決まるまで

滞在するような次元とされています。



そこでは、それまで生きてきた

前世を含めた自身の生き方を、

まるで映画を見るように蘇るそうです。

そして、マスターと呼ばれる師のような存在や

自身のハイヤーセルフ、

守護してきてくださった高次元の存在等と

反省会のようなことをする。

そして、前回のバルドでの反省会で生まれ変わったら、

やり残したことをやろうと誓ったことが、

今回の生でその通りに生きてこられたか、

自身を見つめるんだそうです。



自身の立てた目標通りに生きられなかった場合、

もう一度次の生で同じ目標を立てる。

宿題をクリアした場合は、

もう3次元で肉体を持って

やり直しする必要がないため、

3次元を卒業する。



このことが仏教徒が修行の主眼とされている

「解脱」(げだつ)
です。

「往生」(おうじょう)とも言われていますね。

この世に生まれ変わる必要が無くなり、

高い次元に昇華することです。

一般的な言い方だと、「天国」とでも言いますか。


では、解脱するために

課せられた宿題をクリアしなくてはなりません。

実は、その事が私達が生まれた

目的なのではないかと思われます。

具体的に言えば、

やはり何度も書いてきた、

「自分を許し、周りの人を許す」

ということに尽きるのではないか。



この事は、私がすでにできているという事ではまったくありません。

残念ながら、まだまだそこまで行っていません。

とっても遠い道程です。

しかし、遠いと思えば自分の想念で

遠い所に追いやってしまうし、

遠くないと強く思えば、

意外と近くにあると思います。

私はというと、意識して何でも受け入れようとしています。

他人の考え方や生き方、

目や耳に飛び込んでくるネガティブなニュースも、

人それぞれにその人なりの正義がありますから、

否定したくなるところをグッとこらえます。

いくら頭で解っていたって、

瞬間的にどんな考えでも生き方でも、

心から受け入れられなくっちゃあね。

これら事は本人の現在の意思の関わりなく、

宇宙の真理は粛々と進みます。



幸いにして、3次元社会にいる今の状況は、

一点の曇りなき所まで上り詰める要はないようです。


今のこの次元では

完璧に「許せる」段階に入るには、

若干の無理があります。

目指すは、せめて自分と

自分の周りの人に対して許せたらいいね。








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Last updated  2016.07.01 05:32:33
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