映画「ニューヨーク冬物語」より
ようこそ、お越し下さました。いつもながら、更新が滞っております。今回の遅れは、ちょっと忙しい事かな。GW期間は、結構お客様が来られたし、山菜採りや磯遊び、そうそう、こんなアプローチを作りました。モルタルを目地に詰めて完成です。私が古道歩きが好きなのは、よく書きました。熊野古道をはじめ、奈良の山の辺の道や滝坂道、竹内街道といった所は良く歩きました。古い道なので、古い人物も歩いた道。そんないにしえへの想いを重ねながら歩くと、身も心も癒されます。このアプローチは、熊野古道を模した感じ。使った石は浜辺から拾ってきたもの、砂利やセメントも業者の方が余ったからおいていったもの。だから、コストはゼロ。短いアプローチだけど、ちょっと楽しくなりました。山菜も、たくさんいただきました。シイタケのほだぎが古く朽ちてきたので、新たに50本作りました。さて、少し前に観た映画「ニューヨーク冬物語」。ちょっと話題になったので、ご覧になった方も多いのではないか。コリン.ファレル主演のファンタジックなラブストーリーだが、よく理解できない部分があり、鈍い私なので3回観て「なるほど!」と思えてきて、見方によってはとても面白い映画だった。セリフやナレーションの言葉がとても印象的でした。こんな感じです。「昔々、もし空には星などなかったとしたら、今ある星は何かしら・・・もし、夜空を照らすのがかなたの星の光でなく、天使になった人の翼だとしたら・・・」「奴らがやりたいのは、空のいたる所を星で満たすことだ。善人が死んだら空に場所が用意されている。だが、俺たちはお呼びじゃあねえ。」「人は心に奇跡を宿している。その奇跡で結ばれる相手は、生涯ただ一人。二人が近づくと天が力を貸し魂の案内役を送って来て、運命の出会いは成就する。」「愛することは救う事だ。」「この世の命は等しく尊い。役割のない命など一つもないのだから。」「もし誰もが天の壮大な計画の一部だと気付いたとしたら、いつか自分が果たすべき役割を終えた時、私達は空に上って愛する人と再会する。永遠の愛の為に。」この映画の原作は、「ウインターズ.テイル」というベストセラー小説。シェイクスピアと並ぶと評されたこの文学の原作者は、人類の永遠のテーマと称される「人は何のために生まれるのか」という問いかけに、間接的という形をもってその事に触れているような気がする。人が死んだら、夜空の星になるというお話は、世界中にありますね。大切な人が亡くなって、星となって空から見守ってくれると思うと、とても安心しますしね。でも、何億光年という途方もなく遠い星の光が今地球に届いても、その光は何億年前の光なわけで、最近亡くなった大切な人の星ではないですね。でも、「星になる」というのは比喩であって、極楽往生とか西方浄土とか言われる3次元を超えた世界かもしれません。この世に生を受ける理由の一つは、運命の人と出会って愛を完結することがその理由だと言っているような。その事が、天が望んでいる壮大な計画なんだという事も。「人は死んだら終わり」と考えている方も多いと思いますが、それも一つの考え方です。でも、それではこの宇宙の森羅万象の中で、最も霊性が高いとされている人間の生きる意味が見えなくなってしまいます。天がわざわざ制限だらけの3次元社会を作られた意味が、何もなくなってしまいます。制限のある中で、自分も大切だけど、他を思い愛することができるか、「あなたはどれだけできますか?」という試練でもあるわけです。成長があり進化があり、積み重ねの生の中から魂の完全なる成就に向かって行くことにより、「何のために生きるのか」という問いかけの答えが出てくると思いませんか。人それぞれに良心があり、矜持があり、より美しく生きたいという願いもある。たった一回の80年やそこいらの短い生涯では、やり残しだらけになるのは決まっています。人間として完結に至るには、あまりにも短すぎる一生です。やり残したことがあるから、次の生でのテーマとなる。短い一生すらも、天の計画の一部なのでしょう。この映画は、そういう意味を持って時空を超えた意味ある出会いとその人との“愛の完結”を表現したかったのかな。この映画を酷評する方もいるようですが、それもその方の観方。120分程度の映画で、よくぞここまで表現したと拍手を送りたい。