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カテゴリ:徒然うさ
今年の正月は、ほぼ例年通りでした。 いつものように、正月を返上して酒を飲み、昼寝し、雑煮を食べ、年賀状を読みながら寝ていました。 もらった年賀状の多くは、デザインや色使いなどに趣向を凝らしています。 しかしその中で、ひときわ異彩を放つ年賀状が一通ありました。 これをくれたのは、本人の名誉のために名前は伏せておきますが、風変わりな私の友人です。 (正月ボケの人がいると困るので、断っておきますが、“風変わりな”は、“友人”を形容しているものです) 無地のハガキの中央に、ボールペンで几帳面に「賀正」と1センチ角の小さな文字で書いてあり、その脇に簿記などで金額訂正に使う小さな印鑑で、「斉藤」と本人の印を押しています。 なぜ押印しているのか不明ですが、たぶん「賀正」を訂正しているのでしょう。 その年賀状に書いているのはそれだけです。 近況、所信表明、決意、家族の紹介はもちろん、年号も書いていません。 (考えてみれば、年号は今年に決まっているのだから不要です。来年や去年の年賀状を出す人はいません) 余白があれば、それを埋めようとするのが普通の心理ですが、空白を恐れる様子が全くありません。 他の年賀状と比べて、異常に文字が少ない。 行きつけのうどん屋の肉うどんの牛肉ぐらい少ない。 これ以上省くとしたら、捺印か年賀状そのものくらいしか無いでしょう。 私はこれほど、シンプルかつ大胆な年賀状を見たことがありません。 そして反省しました。 私の年賀状の何とつまらないことでしょう。 比較にならないほど手間を掛けたのが無駄だったように思えました。 パソコンで印刷したので、手が掛かっているようには見えないでしょうが、実際には長い時間を費やしているのです。 まず、インクジェットプリンター用の年賀状を買い求めたのが十二月の初旬です。 それからほどなくして、年賀状のソフトを買いました。 新しいソフトに宛名用のデータを入力するのが大変でした。 私のアドレスデータは、Palmの電子手帳を使用しているので、そのデータを移さなければならないのです。 そのデータの校正に一日をかけ、インクを買いに行くのに一日かけました。 インクを買いに行ったのに、東急ハンズとパルコに寄っていたら、インクを買うのを忘れるのに一日かかりました。 その他にも、さまざまな障害が私を襲い(忘年会など)、手書きの何倍もの時間をかけて送ったにも関わらず、私の年賀状は元旦に到着しないばかりか、効果は簡素な年賀状には及ばないのです。 何のために年賀状を出すのか、疑問に思えてきました。 年賀状に労力を傾けるには、人生は短すぎます。 (年賀状を書くだけのためには、人生は長すぎますが) 多くの人は、年賀状を出さないと不利な扱いを受けるのではないか、という漠然とした不安から出していると思いますが、効果のほどは疑わしいものです。 私は、百数十人に年賀状を出し続けていますが、私に食事を奢ってくれたのは十人だけです。 損得じゃなく、礼儀の問題だ、と言う人がいるかも知れませんが、「パソコンで簡単に済ませたな。無礼な野郎だ」、「こんな趣味のいい年賀状を送りつけて、自分の才能を見せびらかしたいのか。失礼なヤツだ」と逆効果になることがあります。 むしろ、年賀状を出さない方が危険は少ないと思います。 かといって、年賀状を一切出さないという勇気もありません。 今でも、食事を奢ってくれる人は少ないのです。 年賀状を出さないと、これ以上どんな目に遭うか分かったものではありません。 妻にも出した方がいいかも知れません。 考えた挙句、来年の年賀状は、次のようにすることに決めました。 賀正 これまで、お世話になりました。 これからの百年間も宜しくお願いします。 2006年元旦~2106年元旦 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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