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カテゴリ:徒然うさ
バレンタインデーが過ぎました。
それにしても、こういう悪習がいつまで続くのでしょうか。 私はバレンタインデーを軽蔑していますが、その最大の理由は私がチョコレートをもらえないからではありません。 それが悪習だと(人生経験を積んだ結果)固く心に決めているからです。 そもそも、愛情や好意を伝える日、という趣旨からして軽薄です。 第一、愛情を伝えて何か効果があるのでしょうか。 ディカプリオに伝えてどうにかなるのか。 私に伝えてどうにかなるのか。 (私の出費が増えるだけではないのか) 一歩譲って、愛情を相手に伝えるとしても、物品を贈るという安易な方法しか無いのでしょうか。 和歌を贈るとか、「マッケンジーなんか嫌いっ」と言うなり、両手で顔を覆って、くるっと背を向けて小走りに走り去るとか、もっと洗練されたやり方があるでしょう。 さらに百歩譲り、合計百一歩譲って、物品を贈るのを認めたとしても、なぜチョコレートでなくてはいけないのでしょうか。 他にも、高級車、現金、私の詩集(有償でお分けします)など、贈る物は他にいくらでもあるでしょう。 一歩も譲られたくないなら、私に贈ってみなさい。 (私の詩集はお断りする) 何よりも、バレンタインデーは人心を蝕んでいます。 もらったチョコレートの数が男の価値を決めるような錯覚を生み、その結果、職場や学校で肩身の狭い思いをしている男が多いのです。 (私は違う) チョコレートを多数もらえばもらったで、いくつもらったかを自慢するような卑しい態度を生んでいます。 (チョコレートを多数もらう男はたいてい卑しい) バレンタインデーが過ぎて二日経過した今日、友人が嬉しそうに「チョコレートを五つもらいましたよ。マッケンジーさんは沢山もらったでしょうね」と言いました。 私は軽蔑の気持ちを込めて、「たった二十個ですよ」と答えました。 生まれてから今までにもらった総数は、控え目にみても二十個には、なっているはずです。 今年はゼロかと思っていたら、夜の街で働いているYちゃんから、私の留守中に郵便で送られて来ていました。 しかし、よく解からないのは、私の会社名の下に「御中」と書いてあったことです。 その箱には二十個は入っていたはずです(私が事務所に出た時には、中田さんが半分食べていました)が、私の分を十個と計算することもできたものを一個と計算しているのです。 なんと謙虚な計算の仕方でしょう。 若い知人の中には、毎年チョコレートを困るほどもらっている男もいます。 そういう男を見ても、とくに魅力があるとは思えません。 おそらく、その男がもらっているチョコレートのいくつかは、私に渡そうとした女性が、私とその男を間違えて渡したものでしょう。 つねづね、女性には男を見る目がなく、ことに私を見る目がないと思っていましたが、これほど根本的な間違いをするほど愚かだとは思っていませんでした。 こういう間違いを助長するような習慣は即刻廃止するべきです。 でも、私には送って下さい。 請求書に振込先を明記して頂ければ、チョコレートの代金を振り込みます。 〔追伸〕 もちろん、送料と振込手数料も弊社が負担します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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