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カテゴリ:徒然うさ
先日、テレビを見ていたら、日本に長期滞在している外国の男が、日本の女性について語っていました。
「数人の日本人女性と付き合った(この時点で私は許せないと感じた)が、日本の女性は自分の意見を持っていないから、付き合っても飽きてしまう」と言っていたのです。 (ここで私の怒りは頂点に達しました!) (飽きたのなら、私に紹介しろ!) そんな私の孤独はともかく、この発言の内容自体も私の認識と大きくかけ離れています。 その男と付き合った女性は、英語が苦手で「イエス」としか言えなかったか、男が、何か(お地蔵様など)を日本の女性と思い込んでいたのではないでしょうか。 自分の意見を持たない女性が本当にいるなら、ぜひ紹介してもらいたい。 私の周囲にいる女性は、確固たる自分の意見を持っています。 「エルメスじゃなきゃイヤ」とか、「ベッカムみたいじゃなきゃイヤ」とか、「マッケンジーはイヤ」など、詳細かつ明確な意見を持っていて、妥協というものを知りません。 結果的に、ベッカムとは似ても似つかない男と付き合ったりしているので、どこかで妥協しているのでしょうが、少なくとも私の説得で女性が意見を変えたためしはありません。 日本人は、男女を問わず、自分の意見や主張を持たない、とよく言われますが、これは明白な誤りです。 うそだと思うなら、通りがかりの人に「千円出せ」とか、「私と付き合え」と言ってみるがいい。 女性の買い物にケチをつけてもいい。 人間の自己主張の強さに改めて驚くはずです。 実際は誰でも他人の自己主張の強さには手を焼いているはずです。 自己主張するのは簡単です。 しゃべる必要もありません。 よく電車で青年が足を投げ出して座っていますが、これは「自分の前方五十センチは、俺の領域だからな!絶対に侵害させない!(コワいお兄さんが来ない限り!)」と、自己を主張しているのです。 犬が放尿によってテリトリーを守ったつもりになっているのと同じ種類の自己主張でしょう。 犬も自分より強いオスには、放尿による主張は通用しません。 なぜ日本人は自己主張をしないとされているのか不可解ですが、さらに不可解なのは、自分の意見を持ち、それを主張するのが良い、とされていることです。 他人と違う意見を持てと言うなら、二+三=六だ、という独自の意見を持てばいいのでしょうか。 急いでいるとき、グループ全員が「日替わりランチ」を注文しているのに、一人だけ「スペシャルシーフードグラタン」を注文すべきなのでしょうか。 自分の意見を持って良い場合は限られています。 自分の利益や好き嫌いを主張するときのような、他人から見るとどうでもいい場合だけです。 むしろ自己主張は、迷惑と争いのもとです。 自己主張と同類のものとしては、わがまま、主体性、こだわり、頑固などがありますが、はた迷惑なものばかりです。 それなのに「日本人はもっと自己主張すべきだ」と叫ばれているのです。 たしかに、日本の外交は外国に対して強い主張をしないし、日本人旅行者が海外でカモにされることも多いと感じます。 これは損なことでしょう。 損をするから自己主張が必要だと叫ばれるのかも知れません。 しかし、なぜ損をしてはいけないのでしょうか。 他人に迷惑を掛けているわけではなく、むしろ喜ばれているのです。 ソクラテスは、「加害者になるよりは被害者になれ」と主張したし、キリストは、「左の頬を打たれたら右の頬を出せ」と説き、私は、「左の頬も右の頬も打たないでほしい。どうしてもと言うなら、力いっぱい打たないでほしい」と希望しました。 (三人とも被害者である点が共通しています) (ソクラテスもキリストも最期は死刑になったのが不吉です) 私に危害を加えることしか頭にない者たちには、おおいに反省してほしいものです。 もちろん、主張すべきことは主張すべきです。 しかし、主張するなら、他人と違う意見より、正しい意見を主張すべきです。 「エルメスじゃなきゃイヤ」と主張するより、「二+三=五」と主張して頂きたい。 とくに私の価値については、正しい意見を持ってもらいたい。 こう主張したら、ゆりちゃんに「本当に正しい意見を持ってもいいんですか」と言われたから訂正しますが、暖かい意見を持ってもらいたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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