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あれは、私が大学生だった頃のことでした。 今から数年前(正確には21年前)、高い熱が数週間(正確には数日)続きました。 (私は自分の不幸は大げさに言う習慣があります。これは、同情をひいて優しくして欲しい、という潜在的な欲求があるからです。私の不幸は顕在していますが) 私は病院に行かず、アパートの一室でじっと我慢していました。 雄々しく病魔と闘っていた、と言い換えてもいい。 病院を怖れている上に、貧乏だったのです。 高熱のためアルバイトにも行けず、介抱してくれる彼女も、金を貸してくれる友人もいません。 (高熱を除けば、今と同じ状況です) しかし、このままでは新聞の片隅に「苦学生、アパートで病死、死後数ヶ月」という記事が載るという惨めな未来を想像し、死ぬくらいなら病院に行こう、と決心しました。 ところで、女性の場合なら、新聞の見出しはこうなるはずです。 「薄幸の美人女子大生、自室で変死」 この場合、客観的に美人である必要性はなく、十人並みの容貌であれば、“薄幸の美人”扱いしてくれるような気がします。 このような場合のマスコミ報道に備えて、普段から映りの良い写真を、あちこちに配っておけば、お気に入りの写真で報道してもらえる上に、“美人”という称号を冠することができる可能性が高まります。 とにかく、私は意を決して、緊急用貯金箱を叩き割り、近所の病院に向かいました。 なるべく怖くなさそうな病院を選んだのは言うまでもありません。 私の住んでいたアパートは世田谷区にありましたが、そこから通学定期の使えるバス路線沿いの二子玉川の住宅街に、その病院はありました。 ごく普通の民家と変わらないような造りで、病院らしからぬ雰囲気でした。 受付を済ませて待合室で待っていると、若い女性が、にこやかに診察室に招きいれてくれました。 白衣ではなく、花柄のワンピースを着ています。 私は、白衣や、注射器や、督促状を見ると反射的に恐怖感を抱きますが、花柄のワンピースには恐怖を感じません。 (花柄のワンピースを着た女性にひどい目にあったこともありますが、恐怖の質が違うのでしょう) もちろん、にこやかに迎えられても恐怖心が薄らぐわけがありません。 殺人鬼が、これから殺そうとする被害者を部屋に迎え入れるときも、にこやかに迎えるに違いないのです。 診察室は明るいクリーム色の色調で統一され、木製の古めかしい机の上にある一輪挿しには、ピンクのコスモスが活けてあります。 窓からは、庭の茂った木立を通り抜けた日光が、柔らかく射し込んでいました。 落ち着いた雰囲気に緊張は少し緩みましたが、「こんなことで油断してたまるか」と気持ちを引き締めます。 花柄のワンピースの女性は、私を椅子に座らせて質問してきました。 その時になって初めて、その女性が医者だと分かりました。 その瞬間、私の恐怖は喜びに変わり、生まれて初めて、病気になって良かった、と感じたのです。 ベルトを緩めて横になるように、と言われたときは、不安と期待が交錯し、もう何をされてもいい、と思いました。 医者は、「たぶん気管支炎だと思います」と言い、そう考える理由を話してくれました。 やさしく謙虚な話しぶりで、微笑を絶やさない。 このような医者がいるのか、という新鮮な驚きとともに、私は彼女に好意を持ちました。 病気の説明も治療の中身も、よく理解できませんでしたが、それが何だというのでしょう。 診察のあと、彼女の大学時代のこと、仕事のことなどを話しました。 時間は瞬く間に過ぎ去り、病院を出るときには病気のことも病院の怖さもすっかり忘れていました。 残念なことに病気は治ってしまい、二度とこの医者に会うことはありませんでした。 それから2ヵ月後、奥歯の詰め物が取れて、歯が痛くなりました。 歯医者に行くぐらいなら死んだほうがましだ、と思いましたが、死ぬ気になれば何でもできる、と思い直し、歯医者に行きました。 恐怖に怯えながら診察室に入ると、驚いたことに、前と同じことが起こりました。 診察室の雰囲気も似ているし、歯医者も若い美人の医者でした。 私にやさしくしてくれたのも同じです。 「これからすることは痛くありませんからね」と言っておいてから治療します。 恐怖をやわらげる配慮です。 (ですが、歯を抜くときなど、「これからすることは、とても痛いですよ」と言うでしょうか) またしても、やさしく扱われたことが、とてもうれしかった。 歯の詰め物は二日で取れましたが、それが何だというのでしょう。 今でも、二子玉川の住宅街に、あの病院があるでしょうか。 あの女医さんたちも、今では50台半ばの年齢でしょう。 いまでも、花柄のワンピースを着ているでしょうか。 想像すると、少し怖くなってきました。 病院が怖いのではありません。 やっぱり、女性が怖いのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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