いよいよ三輪へ。
世間ではすごいパワースポットとして有名な神山であり神社なのですが、今まで不思議と「行きたくない・・・」と思っていた場所の一つです(以外に、そういう場所が他にもあります。時期をみているんでしょうね)
途中経過と大まかなあらましは、さつきのひかりさんの日記にお任せし・・・
とっとと、三輪山登山のお話へ。
お役バージョンになると俄然足が超早くなる3人組で出発。
いきなり急坂からスタートのハイテンション。
このスピードすごいねぇ・・・と思いつつ、あっという間に禊殿まで到着。
最初は、先頭のさつきのひかりさんに合わせてバンバン飛ばしていた瑚月。
禊殿を出て次の山場(って、山場だらけな山道ですが)に入った時から
「や・・・やばい?」と思いだしました。
足が重いのです。
いよ~に重い。
杉丸太で作られた階段を駆け上がるのですが、
太ももを上げるのが段々苦難になってきました。
心臓もバクバクすごい動悸です。
「皆さまの足を止めてはいけない・・・」と思いつつ、
しかしなまじ医療職なわたくし。
とうとう途中で自己ドクターストップをかける決意をして
「ごめんなさぃ~~~~」とSOS。
で、止まった場所はなんと最初の磐座でした。
ここでマイミクさんもポイントだと感じられ、さつきのひかりさんが最初のお仕事。
私は、自分の中で湧き上がるものを浄化。
ここまでの苦しさで感じた事は、普通の山道と違うこの三輪山独特な急な丸太道は
「頂上に上がるまでにしっかり足腰(丹田)に力を入れてグランディングしなさい」
という為にあるものという事。
特に私の場合は天使界や宇宙ステーションやクリロズなど高波動域で仕事をしておられる
さつきのひかりさんや、それらをよく行き来をされている「なに見え遠足」卒業者のマイミクさんとは違い、アンダーグランド(低波動域)にダイブする為に重りとして浄化するものを吸収しまくる掃除機タイプ。
まず、同じ波動までに急激に上昇しなくてはこのお仕事は出来ない、
そのために心拍数の亢進や足の負荷が他のお二方よりも重いのだと思いました。
今回、頂上でするべき事があると思っていました。
で、なぜかそれは3人で行かなければいけないと強く思っていました。
絶対行かなくちゃいけない。
この苦しさは私自身の禊だ・・・orz。
ちょうど人生でも大きな次のステージを迎えていた私でしたので、
「生まれ変わり」の為になんとしても登らなくてはいけない。
そう心を新たにして、再び歩き始めました。
が・・・・、だんだん違う仕事になってきました。
そう、明らかに「仕事モード」に入って行くんですね。
いつしか自分の浄化が終わって、さあ次をって感じ。
歩きながら、ドンドン何かを浄化していきます。
私は、浄化型なので自己体内に吸収してから上にあげるのですが、
その時に呼気を使います。
というか自然につかっちゃうんですが・・・orz
(昔、なんでだろ?と思っていたら「神道系の浄化方法が呼気だ」という事を教えて頂いてびっくりした事がありました)。
で、問題は
私が急激な坂道を上っているという事。
たのむ・・・浄化するか山登るか、
「どっちか一つにさせてぇぇぇぇぇぇ」と涙。
加えて、呼気=吐く息なので、
息吐いて
息吐いて
息吐いて
息はい・・・
・・・・吸わせてくださいぃぃ・・・・・・orz。
で、どうにもこうにもならなくて「止まってください」とお願いするところが、
マイミクさんのうえっぷポイント(爆)と完全リンク。
しかも磐座などさつきのひかりさんが見てもがっちり浄化ポイントになってました。
ある所なんか、迷惑をかけないように強硬に突破しようとしたら足を取られて前のめりに手をつきました(スルー厳禁!ってか?)。
しかも、上に登るほど浄化の負荷が強くなってきます。
残り1/4ほどの所では何かにリンクして顔が泣き怒りの形相へ。
時刻的に早く登山し始めた事と、途中で数人追い抜いたこともあり周りに人影はなく・・・
これ幸いにと、お二人に断って「泣きながら」登った場所もありました。
三輪山には社殿裏の禁足地から山頂までの道すじに山腹に3ヶ所、山頂近くに3ヶ所の磐座があります。
ということで、その全てのうえっぷポイント&泣き怒りポイントで浄化のお仕事がありました。
正直、こんなに苦しい仕事は初めてでした。
途中で「ここで倒れたら、救急隊は山伏の方が担架でかしら・・・絶対あかん!」と正直なんどか思いました。
3人がかりの浄化でやっと訪れた山頂。
たまっている浄化をお二人にお願いし(安心○投げw)・・・私は一人、別のお仕事へ。
二つあったお仕事のうちの一つ、それは
「大地にありがとう」を言う事。
日本には古事記・日本書紀からなる神話がありますが、政治的な意味合いから改ざんされた多くの歴史があります。
役割や親子関係すら変えられた神様もおられます。名前すら消された方、忌み名をつけられた方々なども多くおられます。
主に弥生時代以降の「神」は、思うに「人」が神格のレベルまで向上された方々であり・・・・日本には縄文以前からの神々(自然神)が存在していたと思います。
(もっといえば、自然や人など「地球から生まれた神々」(広義の『神霊界』)と「宇宙から来た神々」がおられるように思っています(この話はまた後日)。)
三輪行きが決まった時に大事な方との出会いがありました。その方の講演会でお聞きした事が今回の目的のヒントだと強く感じました。
意味深い話も多々あるのですが一部だけ述べますと・・・。
「人はいい事があったり、助けてもらったりすると天を拝む、誰も地を拝むものはいない」
けど「天から与えられるものは一(日=火)二(風=空気)三(水)の三つだけで、残り四~十までは地からもらう物」
「人は大地から作られている(お母さんがご飯食べて、おなかの子は大きくなりますもんね)」「大地に感謝してください」という物。
これを聞いた時に、
大地の代表として、三輪山さんにお礼を言おう・・・そう思ったのでした。
で、三輪山の頂上で大地にお礼を言って思った事は、
『この山は純粋に太古の昔から大地のエネルギーを恵みとして地上に放出していた所。』という事。
ただ大地に腰をおろし、日を浴び・・・汗として流した汚れを補う為に水を頂き、天に近き場所で空気を思いっきり吸い・・・ただただ・・・大地に感謝するだけで、エネルギーをくれる、とても親切な山だという事。
ただただ・・・
感謝して大地に腰をおろせばいいのに・・・ 。
有史の昔から、「人」の思惑で、この地表に色々な想念を置かれて・・・さぞや重かったでしょう。中には良かれと思って「降ろして行った」人々もいたかも知れない。
けど、そのたびに、色ガラスが重なってゆく天窓で日光浴をするように。
本来の太陽の光がどういうものであったかわからなくなってしまう。
そんな印象がわいてきました。
ただ、ただ・・・・・座っていればいいのに。
やさしい山。
ごめんね。
ありがとう・・・・。
そう思って、日向ぼっこをしながら大地に手をあてていると
ある言葉と図が浮かんできました。
その言葉と図で、もう一つの仕事も終わったんだと思いました。
さて、三輪山の仕事がちゃんと終わったかどうか(笑・・・
その答えは下山してからの大神神社で頂きましたので次の日記で書かせて頂きます。
そんなこんなで行きは1時間半かかった山道を、帰りは帳尻はしっかり合わせますね!という感じで、先行き方をどんどん追い越し・・超スピード30分で下山。
麓組と約束していた11時きっかりに登山口に戻ってきたときには笑いましたです。
さて三輪山ですが、大神神社のHPでは
『山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧(おの)をいれることをせず、松・杉・檜などの大樹に覆われています。』
と書かれていますが、
斧じゃなくてのこぎりならOKなの?
という感じで結構あれていました。
嵐での倒木や害虫など伐採の理由はあると思いますが、痛々しく感じられました。
そして、山中でリンクした涙と怒りが山の方々からだと確信したのは、
帰ってから拡大してみた下記の写真でした。
登山前に「撮って」という合図があって携帯で撮影したものです。
手前の二重丸は私の相方さんのお守り心。そして、その二重丸と大きな光の縁の間にあるものは・・・・
木霊さんの訴えるお顔でした。
つづく