三輪山を下りて急ぎ一行は奈良市内へ。
ちょうど電車が出てしまった後で、急きょタクシーで向かう事に。
いやぁ、5人だから出来ましたが・・・リッチですw
もともと今回ミクシオフ会の本当の主題は、ならまちにある重要文化財「今西家書院」にておこなわれる、
『平城(奈良)の余韻~シルクロードへの郷愁~』
と題しての能管と正倉院に二張だけ残っている「箜篌(くご)」という天平時代に日本に伝来した竪琴での演奏会に参列する事でした。
今西書院は奈良の酒造元である「春鹿」というお店が管理しており、ランチつきのコンサートは、とてもおしいしい懐石料理と日本酒のとても素敵なマリアージュからスタートしました。
訳あってタクシー内でエネルギー激貧状態になってしまい車に酔ってしまった瑚月。
とにかく、突き出しからちょぼちょぼ食べていたのですが、
「お酒もエネルギーになるよ」というさつきのひかりさんのお言葉に、ちょいと食前酒を頂きましたら
あら
おいしいい~~~~~~~~~~~~~
あれ?元気出てきた?
いや、お酒は百薬の長とも言いますが(過ぎた百厄の長ともw)
エネルギー補充にいいんだなぁと初めて知りました。
後、「お酒と食事を頂いた」事によってある意味、
「この世に帰ってきた」という事もありました。
皆さま、神社でお清めをお願いしたときや、地鎮祭などで神主さんが、白い紙をつけた棒を振るのをごらんになられた事がありますでしょうか?
宗派によって言い方の違いはありますが、修祓(しゅうばつ/しゅばつ/しゅうほつ など)と言われる事もあるもので、よく「払い清めるためにするもの」と言われます。
私も前は「自分たちの罪穢れを祓ってもらうためにするもの」と思っていましたが、
ある神主様から
「祓うのはその人の罪穢れではなくて、神様と人の世界との垣根を祓うんです。これによって、人と神は同じ世界に繋がり神事をともに行うのです」
と教えて頂き、なるほど~と、目からうろこが出て覚えがございます。
さらに、その方いわく、
「神事の後はご飯を食べる会があるでしょ?あれは、この世のものを口にする事で、人の世に帰ってくるという効果があるんです。食べなかったら行ったままですよ(笑)」と。
確かに、私の知っている所では神事の後で「直会(なおらい)」というお祝いの席があります。なんでこんな名前なのかなと思ったら「世の中に直る(戻る)」という意味だったんですねw。
そういうわけで、三輪山からなにも口にしなかった瑚月。
ここで「直会」もさせて頂き、無事「この世」に戻ってきたわけでした(笑。
イザナギ・イザナミの神話やギリシャ神話のペルセポネーの神話でも黄泉の国の物を食べたら帰れないという掟は世界でみられるようですが、それだけ「食物が体を作る為に重要であるか」という事を物語っているように感じますです。
しかし、お酒は絶品でした(食前酒・食中酒・食後酒と3種類。後で横にある試飲の出来る蔵に行って、自分と相方のエネルギーアップに一番いいお酒をリーディングしてお土産に買って帰りましたwうまうまw。(注意>あ、瑚月はあんまり飲めない人です)。
さて、無事、直会もすませた瑚月。
楽しみにしていた能管とくごのコンサートが始まりました。
とても素敵なお装束で日本庭園での能管の調べからスタート。
皆さまが聞き入る中、何故か私は「ばふ~ばふ~(呼気)」と浄化中。
前にいたさつきのひかりさんが驚いて「なに浄化してるんですか??」と振り向かれてしまいました。
あ、ばれました?・・・orz。
(すんません)
自分もなにを浄化してるんだろ~と思いながらグランドハープと能管のコラボ演奏や
目玉のクゴと能管の演奏を聴いていると・・・
色々と浮かんでくるイメージ。
まとめると・・・
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瑚月は昔(天平時代?)、龍笛の奏者だったらしい。
宮中に仕え、龍笛に命をかけ音の磨きに精魂を尽くしていた人。
そこに遣唐使として派遣されていた方が珍しい楽器を持ち帰ったという噂が耳にはいった。
その名も「箜篌(くご)」というらしい。
最新の文化を持つかの国の楽器
とおき道~しるくろーど~を経て伝わり、海を越えこの地に今ある。
焦がれてもいけぬ国
最先端の国
その国が今ここにきてくれたような気がして、私は勇んで元遣唐使ももとへ「合奏させてほしい」と願い出た。
上官である元遣唐使は酔狂な事よと笑いながら、それでも応じてくださった。
いざ、合奏が始まった時
愕然とする。
リズムが、音韻が、全く違うのだ。
元遣唐使は「田舎者の音(リズム)だな」と奏者を笑った。
おのが龍笛に精魂をつくしていた男は恥ずかしさに居たたまれず、その場を立ち去った。
元遣唐使に悪意はないのは分かっていた。
それどころか、官位の低い自分の申し出に応じてくれた心の広さに感謝していた。
それからも・・・・、
終生男はおのが音の道を極めんとつくした。
時折、この思い出に胸を焦がしながら。
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『世の中は、かわったなぁ・・・・』
そう私の横でその男がつぶやいた。
グランドハープの音階(西洋の平均律)と能管の音階はまったく違う。
奏者の説明はうつろにしか覚えていないが、本来、相対する楽器同士は「共鳴」し和をなすが、逆に能管は共鳴モードの成立を妨げる独自の音階を奏でる・・・といったように思う。
実際の演奏も、不協和音の和という近代~現代芸術だからこそOKなのね、という合奏。
ハープ奏者の方は『「共鳴(きょうめい)」ではなく「ともなり(共鳴)」ですね』とおっしゃったが、とても高度な和でした。
『こんな演奏ができる世になったんだなぁ。
日本の楽器がどうのこうの、音楽がどうのこうの。西洋が偉いとかどっちが劣っているという事などなく。それぞれの違いを認め、和となる・・・そんな時代がきたんだなぁ』
感動にみちた男のつぶやきを聞きながら、
私自身、「ああ、これが音楽だけでなく・・・国と国、文化と文化、思想と思想・・・違いを認め、生かしあう世の中になっていく・・・というか、いかないといけないんだなぁ」と、今迫りつつある大きな価値観や意識のパラダイムシフトを、違う面から感じさせてもらっていました。
さて、そんなこんなで、曲を聴きつつ、時代の流れを感じ、ひたりつつあったのですが
『しかし、気に入らん』
という声。
え?まだなんかあるの?
と聞くと
ども『音が違う!!!!もっと高い!!!』と言っている
『テンポも違う!もっと早いのだ!!』と。
せっかくこの世に復元されてよみがえった彼にとってのとても思い入れの大きな楽器。
それが「違う!!!!!!!!!!!」
ま、叫ぶのもわかるけどさぁ。
しかたないじゃん・・・・・orz。
演奏が終わって、マイミクさん方に話をすると、一人の方が
「箜篌」って鳳凰の鳴き声って例えられていたからもっと高い音だと思うよw
テンポだってもっとシルクロード!って感じであっちの雰囲気があるはずだよ!というようなご意見。
いや、実は元遣唐使さんは貴方だったんじゃないですか疑惑も出たんですが、
うちの横の男性は、どうも「違うんじゃないか?」と賛同意見を頂いた事に満足したようで消えましたとさw
ちなみに、私は筝曲(こと)をやっていたのですが、最近「篠笛」がやりたいな~と思っていたところでした。
洋物の楽器は一切だめな楽器音痴な私ですが、なぜか和物はなんとか出来るのは「彼」のおかげだったのかもしれませんねぇ(笑
参考資料>「箜篌は鳳凰の声」はこの文献から
http://kirihaku.com/gakki/kugo2.html
ちなみに龍笛は能管より音が低めですが『笙は天から差し込む光、篳篥は地を行く人の声、龍笛は天と地の間・空を泳ぐ龍の鳴き声』と称されています。
龍と鳳凰、相性よさそうなのにね~
コラボを快諾してくださった粋な元遣唐使さんも、きっとこの「龍と鳳凰」の組み合わせに興味をもったんだと思いますです。
瑚月思わぬところで、
「平城(時代)を超えて・・・現在奈良にて思いを達成す」でございました。
なるほど、演奏会のタイトルの『平城(奈良)の余韻~シルクロードへの郷愁~』。
誰ですか?こんな題名付けたの?
まさにドンピシャ(爆