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カテゴリ:奈良夢小噺
次に行ったのは東大寺の大仏の開眼会と法要に使われた、伎楽面(ぎがくめん)などを展示したコーナーです。
奈良時代に東大寺で行われたもっとも盛大な法会は天平勝宝4年(752年。ちなみに、710(なっとう)の年が平城京遷都w)に行われたおなじみ大仏様の大仏様の開眼会(目を書きこむ会)だそうです。 開眼法要では伎楽や唐散楽、唐古楽、高麗楽(こまがく)など様々な楽舞が上演されたそうです。 そんな面々のコーナーで、最初に目に留まったのは部屋の壁の方にある師子面(しし: =いまの獅子舞の面の様な感じ) が、なんか気になります。 貴族様が「これをかぶった人を知っているかもしれない」とおっしゃいました。 貴方がご存じな方であれば、私も知っている方かもしれない。 何か気になるのはそれかしら。 と、見ていると・・・ 『彼』がいました。 彼の想いがまだ、面に残っていました。 彼はかつての笛師の私同様、芸に関して非常にまじめな人でした。 けど、彼の人生の最後の舞いで、彼にとっては思いがけないミスをしたそうです。 それは、きっと他の人からみたら、ほとんど判らないほど見事にカバーされていたと思いますが、彼にとっては悔やんでも悔やみきれなかったようです。 そして、それを挽回するチャンスは二度と来なかったのです。 けど、彼の想いはそのチャンスをずっと待って、まだ面の中にいました。 私の中の笛吹きが彼に話しかけました。 おい、お前の欠片はまだこの世に残っているのか?。 私は、転生し、今に至り・・・・そして、数百年の時を経て、思いもしなかった箜篌(くご)と龍笛の共楽を見ることが出来た。 私が、生まれ変わって違う自分で多くのモノを見て色々学んだように、 お前も正倉院の蔵の中で膨大な面々と共に、学んだのか?。 数百年もその面にいた彼の想いを「時間の無駄」とは思えませんでした。 というのは、正倉院展に行った『元興寺の屋根裏探索ツアー』http://www.gangoji.or.jp/tera/annai/sento1300/sento1300kinen2.htm#10gatu で古い古い古木さんから頂いた言葉が胸に残っていたからでした。 元興寺は日本最古のお寺と言われている飛鳥寺の古材など飛鳥時代か天平時代か・・・数百年~千年を過ぎた大きな古材を大事に使用して立てられています。 それは屋根裏のある一本の大きな梁の言葉でした。 虫に食われた後もありながら、しっかり今でも現役で元興寺の屋根を支えている梁(はり)さんに、なんとなく話しかけたくなり・・・、 『こんにちわ、今も現役で頑張っておられるのですね』とお声をかけた処・・・。 『山の中でも千年。切られて柱になっても千年。』 という言葉を頂きました。 それは・・・ 切られずに山の中で育っても千年生きられたかもしれないが、 切られて終わったかと思った自分の人生が「梁」として生まれ変わる事で「千年」の生を受けることが出来、いまだにその役目を果たしている。 木は山の中にあるのが幸せと思われるけど、 切られたは切られたで、新たな役割を全うできれば、そこで受けた生は、 山で生きた生と同等である。 逆に、山に入れば虫に喰われて千年生きられなかったかもしれない。 ~どこで生きるかより、『生き方』が大事なのだ~ という意味が込められているように、 山の映像と共に送られてきました。 ・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・ ふ、深い orz。 屋久島の千年杉様も太古のお知恵を持っておられると思います。 一方、柱や梁は、真っ暗で空も見えない屋根裏で、瓦を支えるという仕事を一筋にやりとおす。 単純でつまらない仕事かもしれない。 けど、続ける事でこんなにこんなに深い言葉をおっしゃられるような 高みに上がられるんだ・・・ と、強い感慨をうけたのです。 だから、 その面にずっといた彼の想いも・・・。 ずっと同じ場所にいたから、学べなかったとか、 経験がすくなかったとかは思えなかったのです。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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