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カテゴリ:小説:奈良白日夢奇譚‐耳視師・月櫻
これは小説である。
小説なので、文中に実在した人物や実在する建物等が出て来ても それは全てハクション…。 …もとい、花粉症でね…。 今年のヒノキ花粉は一味違うね。 では改めて。 …小説の中の話ゆえ、それは全ては白日夢(はくじつむ)の中のたわごととご理解いただたく候。 私の名は月櫻(つきお)。 耳視師である。 耳視師?、聞いた事ない? そうだろうね。 【耳視目聴】 《列子・仲尼篇》:「老?之弟子有亢倉子者。得?之道。能以耳視而目聽。」 もともとの意味は、文字通り、 「老子の弟子に亢倉子という者がいて、(常人にはできない) “耳で視、目で聴く”わざをマスターしていた。」 という。 耳視師がどんな仕事をするか、それはまた追々わかるだろう。 ****************************** 今年の桜は深々と胸に響いた。 それはまだつぼみの時から。 奈良市の桜の名所である佐保川の両岸の桜並木は、その蕾がほころぶ前から薄っすらと染まり、淡いピンクのトンネルのように見えた。 まして、咲き始めると…。 今年は天候が不順だった為か、陽のあたる場所と日陰では花の開きが半月ほど違っていた。 満開に近い桜と3分咲きの桜の風景が混在した。 その為か、いつもより桜の季節が長く感じたのだった。 桜をゆっくりと愛でたい…。 一年かけて樹の中までピンクに染まって生まれ出でた生命の息吹、 そして散る時までも心打つ自然の声なき声の美しさ…。 天災が人知を超えたものなら、自然の美もまた人知の向こうにあるもの…。 両極ゆえに又それを深々と感じたい。 月櫻にしては珍しくそう思った。 いつもは日常の仕事の忙しさに、あわただしく過ぎ去さる季節に想いを馳せるだけだったのだ。 仕舞い込んでいたリコーCX2を引っ張り出す。 半年前に一カ月近く悩んだあげくに決めて購入したというのに、ほとんど手を付けてなかったが、コンデジとしては接写と色が奇麗な事で定評がある(http://www.ricoh.co.jp/dc/cx/cx2/point2.html)。 型が古いのは、コストパフォーマンスと使い手の腕を考慮したものであった。 なにぶん、月櫻は機械モノに関しては全く猿同然なので この決断はしごく妥当だと思われた。 ゆっくり桜の木々を歩きながら、 説明書とコンデジを片手にその姿を愛でようか。 さて何処に行こうか…そう考えた時、 『…法隆寺に来られよ…』 まるで桜の花を揺らすそよ風の様な優しい声が聞こえた。 はたと手を止めた月櫻の顔に笑みが浮かんだ。 法隆寺か…そうだな、友人も呼ぼうか。 連絡を取ると「行く」という返事が返って来た。 【法隆寺】 別名を斑鳩寺(いかるがでら)といい、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山である。聖徳太子ゆかりの寺院でユネスコの世界遺産にも認定されており、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。 一般の見学ルートを外れ、先に月櫻とその友人が訪れたのは聖徳太子を宗祖とする聖霊院であった。 聖徳太子像は非公開だが、納められている逗子はお堂の中から祈る事が出来る。 畳の上で正座し深々と頭を下げた後、月櫻は逗子に向かって手を合わせた。 世界が切り替わる。 『桜は一年かけて大地のエネルギーを貯めて、花として咲き、冬を乗り越えた者たちにそのエネルギーを注ぐのですよ…』 再び、あのそよ風の様な優しい声が聞こえた。 その人の目は堂の外の桜が咲く遥か世界に注がれていた。 月櫻はその声の主の名を呼んだ。 「太子殿…」 桜の花を優しく揺らすそよ風の様な声の主は今、聖徳太子と呼ばれているその人であった。 太子は言葉を続ける。 『散る桜は浄化の役割もするんですよ…。冬のいでたちを換えるように、 寒く硬くなった心と身体を解き放つように…』 「しかし、貴方の居られた時はこんなに桜は在りませんでしたでしょう?」 月櫻はそう尋ねた。 太子はゆっくりと振り返ると、その顔に柔らかなほほ笑みを浮かべるとこう云った。 『だから、今は本当に「いい時代」ですよ…』 白昼の夢が終わった。 世界が戻ってくる。 …太子殿、その言葉しかと承りました。貴方様の思いと共にお伝え致します…。 月櫻は心の中で挨拶をすると、目を開け再び深いお辞儀をした。 「月櫻さん、何か仕事してたでしょう?。月櫻さんが手を合わせたら、前にある蝋燭の炎が揺れ始めたんで、あ、仕事してるなと思って黙ってたんです」 堂の外に出て次の場所に向かう月櫻に友人はそう言った。 流石、友人。とその観察力と機転に感心しながら、 一方で「この話は夢まぼろしではないのですよ」と太子がちゃんと証拠を表したなと、 月櫻は心の中で思わず舌を巻いた。 聖徳太子は様々な謎と説に包まれたご仁である。 死後、一族郎党皆殺しにされたとも言われる。 聖徳太子自身、架空の存在ではないかという説すらある。 ある説では…、これは歴史家の説ではないが… 太子は強い能力者であったともいう。 いや、 「あった」ではなく、 「ある」だな。 聖徳太子であれ、厩戸王子であれ…彼はここにいる。 その優しい波動は、正に「和(やわらぐ)を以て貴しとす」と のうたもうた心そのものであった。 この有名な言葉には続きがあり、 「忤(さか)ふることを無きを宗(むね)とせよ。…」と続く。 ******************************* 和を以って貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。 人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。 ここをもって、あるいは君父に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。 しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。 何事か成らざらん。 【大意】 人はえてして偏った、かたくなな見方で派閥や党派などを作りやすい。そうなるとそのこだわりゆえに、見るべきものが見えなくなって他と対立を深める結果になる。 それを避けて、政治家は互いに理解し合い、人々は互いに和らぎ睦まじく話し合いができれば、そこで得た合意は、おのづから道理にかない、何でも成しとげられる-というのだ。 ******************************** 春 日の本の人々は桜になんとも言えない心の動きを感じる。 それは郷愁とも、焦がれるような切なさとも、胸打たれる感動ともいえる。 そして、桜の元に集い皆和して語り楽しむ。 太子の言葉は桜の力を伝えていたが、 その奥に、桜の力を借り、和して再び新しき一年を作りだしていた 日の本の民の心を伝えたかったのだと思う。 東日本大震災の時の、人々の行動を見てこう言った人がいた。 日本人には誰か命令者が居なくても「和して」「自ら判断して」行動出来るDNAが含まれているのだと。 政治も、 日々日常を営む我々も、 この時にこそ、この言葉をもう一度胸に刻むべきではないだろうか。 「福島県民お断りの店教えて」 http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20110416/Techinsight_20110416_51310.html 4月某日、和(やわらぎ)の桜の白日夢(はくじつむ)。 耳視師・月櫻確かに皆さまにお伝え致し候。 舞い散る桜、今一度、その胸におさめたまえ。 第一話 終わり お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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