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カテゴリ:お題
女友達とならいざ知らず、私は男性と交換日記なるものをした事がない。 前5題を読んでいただけるとお分かりいただけるように、交換日記などという初々しくもこっ恥ずかしい提案を想い人にするお年頃に、私は自分の思いの丈を相手にぶつける勇気もなくひたすら気持ちを噛み殺す事に終始していた所為も勿論あるのだが。 実は女友達とのそれすらも、当時小学校2年生という年端もいかないガキのわりにぶっ飛んだ頭の持ち主であった私はブラックユーモアが大好きで、それ系のネタばかりを連発していたおかげで何回も日記が往復しない間に相手に逃げられた記憶があって、同性にすら引かれる自分の話題提起力に些か自信が持てず、余計に男の子との交換日記に踏み出せなかった、という経緯もある。が、それはさておき。 交換手紙、というのなら、18歳の頃から数年間、当時の彼氏(今の情人だ)と続けていた。 何故に交換日記ではなく交換手紙だったかというと、日記に用いるようなノートでおおっぴらに相手に向けてメッセージをしたためるのが憚られる状況だったので(要するに、主に業務時間中に執筆作業をしていたのだ。)仕事に使うメモ用紙を手元に隠し持ってそれに今日の心境やら週末の約束やらをこそこそと書き込んでいたからだ。 相手の姿が見えない・簡単に逢えない状況となると自然と筆にも熱が篭るもので、書く事が多すぎて一枚で足りなくなるとメモ用紙をいくつも繋げて何枚綴りかのミニ便箋を拵え、それを終業時間になると丁寧に折って相手のロッカーの内側に事務用品のメンディングテープでぺたりと貼り付け、何食わぬ顔をして私は退社。男性のほとんどが昼夜2交代制の職場であったので、日勤の私と入れ違いに出勤してきた彼氏がそれを読み、また業務時間中に返信を書いて私のロッカーに放り込んで退出する、という、彼氏の夜勤の週限定のささやかなお楽しみだった。 何故かその手紙のほとんどがまだ私の手元に残っているのだが、書いてある内容ははっきりいって当事者の自己陶酔の世界なのでくだらない。中にはオプションとして彼氏が私の喜びそうなイラストを一生懸命描いてくっつけてある微笑ましい作品もあり、それらは「情人コレクション」として今も別のところにきちんと保管してある。これはそのうち当時の情人が放った熱烈な愛の言葉なぞと一緒に本人の目の前で披露してからかってやろうと意地悪な企みにほくそえんでいる。が、まあ、それらの例外を除けば大抵が本人たちの愛情確認のための自己満足・自己完結の文章の羅列であり、特記するような事柄の記述はない。 だが、毎朝出勤してロッカーを開けるとそこに相手のメッセージがちょこんと残っており、それを開ける時の期待感だとか、すれ違うのが当たり前の交替勤でもちゃんと相手は自分を想ってくれている証拠が物理的にあるというのが幸せだった。 その習慣も彼氏が管理職に就き、私も職場でたくさんの後輩を持つ身になって、職場恋愛の多い会社で我も我もと交換手紙の風習が大流行りするにつけ、上司である彼氏の方から「部下・後輩に示しがつかないから」という理由で交換手紙の禁止が言い渡されて終了したのだが、代わりに(余談だが当時は携帯・PHSが一般化して行く過渡期だった)夜の10時の休憩になると彼氏が私のPHSに「ちゃんといい子にしているか」という確認の電話を入れるという、別の習慣に熱が入り、遊びたい盛りの私は干渉しない親の代わりに「今すぐ家に帰りなさーい!」と電話口で彼氏のお小言を聞かなければいけないのに随分閉口したものだが、こちらの習慣は私が25歳になる年になり、結婚話がこじれて別れるまできちんと続いた。今思うと非常にマメな男である。 その彼氏と別れてから何人もの異性とも同性とも付き合ってきたというのに、交換日記に限らず毎日のコミュニケーションを習慣化する事ができた相手というのはひとりもいない。 それは遠距離恋愛で毎日の連絡手段に金銭的な問題が絡んでいたとか、相手の望むままに流れに流されて付き合いはじめたはいいがその相手にあまり良い感情が持てなかったりだとか、要因はその時その時で様々だが、まず習慣化するかしないかという問題以前にそこまでのエネルギーを相手に対して傾ける気になれないのだ。 関係のかすがいになるのは情と熱意と「 」。 「 」の空白部分に入る言葉を、現在探し中である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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