有為メモ。

涙を流したら負け。

何に対して負けるのか定かでないが、とにかく幼少時の私はそう思って必死で泣くのを堪えていた。

もっとも、人一倍身体の小さかった私がいくら抵抗を試みたところで、人一倍デカい図体を持つ姉たちの力技の折檻にあって最終的に泣かずにおれる日など一日足りとてなかったが、とにかく毎回自分にそう言い聞かせて我慢に我慢を重ねていたのを朧気ながらに覚えている。単純に力馬鹿に屈するのが悔しかったのだろうが。

更に母親に涙の痕跡を悟られるとその理由を執拗に訊かれ、それ自体がただでさえ恥ずかしいというのに、私が泣いた原因が姉たちの意地悪や暴力だとバレてしまうと烈火の如くに怒り狂った母親が「自分の玩具を痛めつけた仕返し」と言わんばかりに仮にも小学生であった姉たちに対して力ずくの報復行動に出る。
母親のやる事がはっきり言っていい大人のやる事ではないのは幼心にわかっていたが、結果的になんだか私自身が『大人に告げ口して守ってもらう卑怯者』の地位に堕ちたような気分になってイマイチすっきりできないのも嫌だった。


そういう過去が多少なりとも地盤になったかどうかは知らないが、私は『人前で泣くのは女の恥』というやけに男気溢れるポリシーを携えた少女になり、自分が泣く動物だという事実自体が成長過程において私の心の中で抹消されつつあった。それが単なる意地なのかそれとも若さゆえの傲慢さなのか、自分が泣くなどという事実は自分の中で到底あっていいものではなかった。
人間、辛い事があれば泣くのが当たり前なのだが、それを認めてしまうと「自分は強いんだ」と信じ続けてきたプライドがガラガラと音を立てて崩れて己が己でなくなってしまうような恐怖感さえ抱いていた。
だからいつでも誰にも見つからないようにこっそり泣いていた。今になって回想するとちょっと笑えるが、当時は自分のイメージを保つのに必死だったのだ。


いっぱしの女性と呼ばれる年頃になっても泣くそぶりどころか悲しみという感情表現すらできなくなり、『可愛気のない女』街道を突っ走るハメになるかと思いきや、何故か恋愛が絡むと泣けて泣けて仕方がなくなり自分でも抑制が効かなくなるほどよく泣いた。日常でキツい出来事があっても涙を流せない分もついでにと適当に理由をつけて男の前で散々泣き散らかしていた時期だ。
男の立場から見たらいい迷惑な話だが、おかげで「キミはもうちょっとドライかと思ってた」と相手に喜ばれたり失望されたりした事も何度あったか。そうかと思うと逆に「苦しいならボクの前では泣いてもいい」と進んで胸を貸してくれようとする男性の前ではさっぱり泣く気にもなれず「ドライなんだね」と突き放されてしまったり。苦い醜態の記憶である。

そうして色事を利用して泣いたのも去年の4月に何代目かの彼氏との別れ話をしたのが最後で、以降は治療の為に通っている精神科のカウンセリングで稀に感極まってぽろりと涙を流すくらいが関の山。めっきり泣けなくなってしまった。
10年来の付き合いである情人は過去の私の情動の激しさを知っている唯一の人物で、彼にまで涙を隠す必要はないのだがそれでもここのところ涙する姿を見せた事がない。


少女時代にしたようにひとりの時間に忍んで泣くことすらできなくなった私は、泣くという感情の排泄手段を自ら封じたまま、これは現在の自分の生活が平穏になった証拠なのだろうと自分自身を納得させて日々を過ごしている。

実は自分が泣かなくなったのは昔と比べて格段に冷淡になった思想と平坦になった感情とちょっとばかりの諦観の所為だと知ってはいるのだが、それすらも私は「これが大人になるという事なのかも知れない」と自分自身に言い聞かせて納得に走っている。

勿論、この場合の『大人』が良い大人の像とは遠くかけ離れているのも承知の上だ。