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カテゴリ:お題
得てして女性の靴は多いものだ。 例えその女性が何足の靴を持っているのか知っていても「まだ買うの?」なんて訊くのは野暮というもの。 ・・・一般的にはそういうし、そのような事例も数多く目の当たりにした経験があるが、私自身は実際の所有数に対して日常的に履く靴の割合が圧倒的に少なく人に見せる靴が限られている所為で所有している靴の数の多さを悟られる危険性が少ない。だから「まだ買うの?」と言われた経験は極稀である。 逆に「少ないの?」と同情された回数の方が多いような記憶もある。女性としては恥ずべき事なのかもしれないが、基本的に使える靴を買うのが下手な女なのだ。 まあ、私以外の女性の中でも該当する人は意外と多いのではないかと思うのだが、『相当な数の靴を所有している』といってもそれらすべての靴が現在進行形で活用できるわけでもなく、普通の女の子並みにその時その時の流行りと心の赴くままに買った靴がそれなりの数あって、『場の勢いで買ったはいいが流行りが廃れて今更履いて歩くのも恥ずかしい』というモノの処分にまず困り、同時に流行り廃りの関係で履けなくなって廃棄の憂き目に合う靴のあまりの多さに比例して次第に現在利用できる靴の数も必然的に削られてゆき、最近では渋々履ける靴を増やしにかかる必要性に迫られ、という三段仕込みの窮地に直面している。 過去の経験を踏まえた上で、今度はあまり流行に左右されないスタンダードな形のモノを中心に増やしていこうと心に決めてはいるのだが、やはり今日日の多少は女心のときめくモノも手に入れたい気持ちがあって、さて、どうなる事やら。私の学習能力が問われる場面か。 だが、時流に乗って購入した靴の中でも特に強い蒐集癖と思い入れに掻き立てられて買い漁った五足のスニーカーだけは流行りが去った今でも自分の手で(足で?)履き潰そうとしているところだ。 リーボックのインスタポンプフューリーという名前のスニーカー(ランニングシューズだったか?)がそれなのだが、1stモデルから5thモデルまで(7thモデルくらいまでは目にした記憶がある。香港返還記念モデルなど銘打ったモデルが販売されていたあたりで時代が伺える。)当時の彼氏と一緒にスポーツショップに通って朝早くから予約までして熱狂的に買い集めた代物で、思い出が詰まっている一品なだけに簡単に手放す気になれない。おいそれと手放す気にはなれないのはいいが、靴五足というのは意外と場所を取るもので、他の人にどうこうされるくらいなら自分が、と毎日の日常履きとしてこまめに履いて寿命をまっとうしてやろうとしている。 モデルによって彩りがまったく違うので極力その日の格好と不釣合いにならないように適度にコーディネイトしつつ。 こうして使ってゆくうちに、早朝に叩き起こされて彼の助手席に乗せられて嬉々として彼にくっついてスポーツショップに通った過去の思い出も靴の消耗と共に薄れていくのかもしれないと思うとやや寂寥たる想いも湧き起こる。 物は物、人は人、と割り切りつつも物に付き纏う感傷がどうも苦手で。二度と履物などに思い入れを寄せまいぞ、次から買う靴はみな消耗品と割り切って自分の意思と自分のお財布で購入するのだ、とも心に誓うのだが、さて、これも私の学習能力が問われる機会になるのだろうか(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年07月03日 20時50分25秒
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