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誰も見てないやろなぁ・・・ 建くらいかなぁ? まぁええわ 今日は曇り空、こういう日は無性に昔が懐かしい ずっと30年位昔、いやもう少しだけ前か・・・ 家を離れて下宿をしながら私は高校に通っていた そこには親代わりになってくれた師、たくさんの先輩、同期生、後輩がいた みんな素晴らしい人たちだった 怪我をしたへたっぴ!の私を見捨てずに励ましてくれたのはT先輩、 主将だったS先輩、前述のT先輩とは仲がよかったですけどこの先輩が普段余り冗談ナンか言いそうにない雰囲気の人で、偶に言うとすげーきつい冗談を言う人だったなぁ ある日、先生のお使いで『S先輩、先生が呼んでおられます』と呼びに言ったら 『イヤじゃ!言うとけ』とふざけられた事があって 私はトボけたというか素直なモンでしたから 『はい~っ!』 って行きそうになったのを 『アカン! こいつはホンマに言いに行くぞ!』 って止めてくれたのはめっちゃ強いN先輩でした 残念な事にS先輩は年も若くにお亡くなりになりました それも随分時が経ちます そんなに背丈が高いほうではなかったけど先生が 『今の中では一番報徳らしい剣道をする』 とおっしゃっていたI先輩、この人はホントはめっちゃ陽気な性格だったことを知るのはご卒業なさった後でした あまり現役の頃は話しもしてもらった覚えもあまりないくらいです ですが無口のようでお二人ともちゃんと後輩の事を見ていてくださってました 足の皮がずる向けになってベソかいてたとき 足半(アシナカ)という足の皮の代用品の造り方を教えてくれたのはY先輩だった このY先輩には生まれて初めて『餃子の王将』と言うところ に連れて行ってもらったこともある 今でもよく私の夢枕にお立ちなるH先生、特に建と太一はことのほか可愛がっておられたものです よく『太一が・・・ 太一が・・・』とおっしゃっておられますけど夢の中の話ですからね もう卒業して随分と時が経ちましたし、二人とももう立派なもんですのに・・・ そういえば、袴のたたみ方を教えてくださったのもY先輩でしたなぁ 竹刀の組み立て方を教えてくださったのはT先輩でしたなぁ そこで餃子を10人前とラーメンとチャーハンを食ったのは別の話・・・あのころは健康で元気だったなぁ・・・ 10年も経った後に警察の特錬上がりの先生に 『おぉ~ 原田が昔懐かしいヤツをつくっとる♪』 っと笑っていわれたのもいい思い出・・・ そういえば、この頃1回目死に掛けた事あって、 三途の川?と地獄の1丁目?を見たことがある・・・ たぶん意識のない時の事だから妄想幻覚だと笑って欲しい 家に庭に撒くために除草剤(猛毒)を小さいビンに入れておい(仕事で運転中) その横にジョージァ缶コーヒー(ブルーマウンテン)をおいてたのを間違えて飲んじゃった!!! (運転してたからよく見なかったねん→誤飲→意識不明) それで意識不明のとき、夢の中でふと気がついたら川のほとりで、きれいないろんな花が咲いてた そこをふら~っと歩いていたら私が17歳のときご他界された大先生(おぉ先生ってよんでました)にでっかい声で叱られたんよ よ~忘れられんなぁ 『おい!(こう呼ばれてました 名前なぞ正確に読んでもらったことなんぞありません 直接呼ぶときは『おい』 で間接的に呼ばれるときは『あれ!』)でした この慌てモンがー! 師が泣くぞ はよ帰らんかっ!』 ですと・・・ おっかなくて、ぴゆ~っ!て逃げ出したら暗い路地に入ってしまった(電柱に地獄一丁目っていうプレートがはってありました) やべっ!なんのまちがいなんや~??? 後ろのほうで20歳のとき病気で子供ごと死んだ嫁の声が 『カズちゃん、そっち違うやん あんた、まだここ来たらあかんやん!』 ・・・絶対これ夢ですワ せやかて、地獄行くのは閻魔様の裁判の後のはずやし そんなに悪事を働いた覚えもない(ちょっとしか) 閻魔様の裁判をすっ飛ばす事のないはずなんやけど・・・ 心当たりを探すと 1、先生に親孝行のつもりで悪所へ連れて行ったこと『あれは確かダイヤモンドクラブとゆー名前のお店のような気が・・・) 食べ道楽もしないし、お酒は嗜れない先生だったしなぁ・・・ 2、後輩のTクンにナイショで喫煙させて嘔吐させてしまったこと? これは誰にもバレてないハズ 3、違う後輩のSクンとNクンが中学生の時、興味津々なので 私の下宿で○○本を見せて後で先生にばれてバレて目から火がでるほどこっぴどく怒られたことかなぁ? みんなもうすっかり大人になっただろうなぁ・・・ だってあの頃、稽古着の乱れ直してやった幼児だった師匠の若がもう大学もとっくに出て子供もいるらしいもんなぁ そういえばH先生は、コーヒーと煙草がお好きでしたなぁ ほかの先生も課業外のときにコーヒーをご馳走になりに教官室にお見えになっていました そういえばその頃の私たちにとってみんな先生方でしたけど先生同士が先輩後輩の間柄でもあったりしたもんですから遠慮もありながら結構和やかな感じだったようにも思えます そんな中に氏原先生って言う英語の先生がいらっしゃったんです 髪を7:3に分けてるんですけどおっかない形のメガネをかけた 893屋さんみたいな風貌のイカつい感じの先生でしたけど(武道や体育の先生じゃありません 英語の先生でした)お茶目と言うか いたずら好きなとこがあって剣道場に大きな稽古太鼓があって、私と同期のヤマシタ君が体操着に奥の部室で着替えてた時、(授業の合間です、剣道のお稽古じゃありません)ふだんH先生が稽古開始の時に鳴らす太鼓の音を氏原先生が打ったモンだから さぁタイヘン! 私とヤマシタクンは着替えの途中で上に体操服、その上に剣道着をひっかけるヤマシタクン、下は半ズボンの体操服の私 稽古開始の時みたいに中途半端な格好のまま道場に飛び出して稽古開始の時みたいに正座してしまったことがあり氏原先生に爆笑された事があります まぁ条件反射になっちゃってるんですけど大爆笑されながら 『状況判断がなっとらん!』 ってやられたこともありました うしろでH先生も爆笑されていたように覚えています たまにはOBの先輩方もお見えでしたし卒業された先輩方の中には信じられない技を見せてくれた人もいらっしゃいました 『○田○郎』と言う先輩には小手面ちゅうワザをめっちゃはやく打つお手本を見せてくれましたし 笑いながら 『こんなん基本やんけ~』 と言っておられたのも忘れられませんし、 『○○』と言うOBの先輩には 基本を教えてくださった上に打ちそこなうと苦笑いしながら 『ココを打たんかいや~!』 と頭をぽかりとされたりしたのも覚えています 背丈が大きくて前に壁があったみたいな○瀬先輩 ○沢先輩とその奥さんに 『困った時にはこれが出る』 と聞いた(聞かされた)、巻き小手の○上先輩とか 個性豊かな先輩方が多かったですねぇ いろんな伝説を聞いてましたがイマイチ、ご卒業なさった後の先輩方は ナンかこうイメージが違うんですよね~ でもまだまだ一杯在りますけど、大先生や先生のトコに行くまでに吐き出すかもしれません などと繰言をつらつら・・・・ 因みに餃子の王将の代金の餃子代はY先輩のオゴリだったはずなんですけど、 10人前食べたらタダだったらしい(真偽は不明です) それでもY先輩にはとってもお世話になりましたし 私もホントの兄貴のように懐きました 板敷きの道場に投げ飛ばされたときの転び方と言うか 受身の取り方を教えてくれたのもこのY先輩です どうしておられるのかなぁ???? この他にもいっぱいあるけど・・・ 今日は疲れた お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年12月06日 15時01分02秒
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