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テーマ:障害児と生きる日常(4432)
カテゴリ:仕事のこと2
私たち保育者や教育者は、
教室の現場で子どもたちの立場に立った語りかけや教材を工夫する。 そうすることで、ちょっと難しいことでも、 子どもたちを引き込むことができる。 しかし、親の療育が目的となる遊び教室では、 必ずしもそれは当てはまらない。 …ということに突然気付いた。 関わる遊び教室はほとんど保健師、保育士、心理士… 子どもに関する専門分野が集まる。 だから、それぞれの立場で、 子どもたちがどうすれば活動に乗ることができるか、 考え教材や環境を整えようとする。 ことばの教室ではむしろそれは強く、 色々な課題に取り組めるように、 簡単課題から引き上げ課題まで、 目を引くように工夫する。 養護学校でも、できる能力を最大限引き出せるように、 補助具や手立てを講じる。 この癖がすっかり付いてしまっていた。 教室では健診等で問題行動が認められた子どもたちも、 1、2回の参加で問題を感じさせることが、 少なくなってしまう。 集団に馴染めないと思われた子どもたちも、 何となく集団に溶け込んでしまう。 楽しく、テンポ良く…。 どんなに手ごわい子どもたちも、 グッとひきつける技は、 やはり何百回も遊び教室をこなしている私の特技といえる。 これは一見、すばらしい教室、支援者のように見える。 私もそう勘違いしていた。 親たちに自分で考えて工夫する余地を奪っていたのではないか。 考えなくてもポンポン回りが上手く乗せてくれる。 考えなくても良い手立てを先に出してしまう。 先回り先回りしていて、 自分で考えずに依存する気持ちをさらに強めていたのではないか。 一緒にやっている年配の保健師さんや心理士の先生に、 ずっと言われている意味が良く分からなかった。 子どもたちは環境を整えてやればできないと思われることもできるようになる。 この気持ちには変わりない。 その環境を整えてできたのだから、集団に入れたのだから、 どうしていけないのか分からなかった。 それはこちら側の自己満足だったんだなあ。 突然気付いて恥ずかしくなった。 なんで分かるまでこんなに時間がかかるのか。 もっと環境が整わない状況で、 どう工夫すべきか問題提起していくべきなんだ。 是非、今日から試してみようと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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