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ソファーに座っていると、イスラムのスカーフをしたおばさんが通った。
突然「毎日、私があなたの朝食作っているのよ。」といってきて、ちょっと驚いた ホテルにずっといたのに会ったことがなかったから、ムスリムだから表に出ないようにしてんだろうなと思った。 しかも英語がすごく堪能だった・・ 明日はこの島を発つ日 「明日もあなたのために早起きして作るわよ。」 「早くてごめんなさい。」船の時間が早朝のため。 「いいのよ、ムスリムだから早く起きないといけないから(コーランのため)。」 薄々気づいてはいたが、わたしは久しぶりの客だった。 だからおばさんもとってもううれしそうでうきうきしていて、こちらもうれしかった 少し話をした。 娘はオーストラリア人と結婚してオーストラリアにいること。 自分はロンボク出身であること、横の土地も夫のものだったが、今はバリ人が買収してホテルを新築していること(この辺は少し悲しい話だ) さすがのわたしも悲しくなってきたので 「今度はここにわたしの家族を連れてくるよ」と言ったら本当に喜んでくれて、 「あなたのこと絶対忘れないから。」と何度も言ってくれた。 長く客がこなかったこのホテルにわたしが来たことで、スタッフもおばさんも明るい未来をたくさん話し始めて、ちょっとうれしかった。 わたしも、この寂れているような、でも手作り感がたくさんある、温かいこのホテルが何となく好きになっていた。 夕ご飯はまた昨日と同じ食堂で ホテルのスタッフもいて、みんなでゆるーい話をする。 食堂のちょっと軽そうな店員も(ムスリムなのにnever pray、一度も祈ったことないんだって、なーんだ日本人と変わらんね、急に親近感)、ホテルのスタッフもなんだかんだ言って、このギリアイルを好きみたいで、バリの都会もいいけど、やっぱりこの静けさが好きだという。 何もないけど、朝は鳥の声しか聞こえないし、でも空気はおいしいし、魚はうまいし(確かに)、十分だ これ以上旅行者が来て、人口が増えるのは嫌だと。 そして、タイや日本の経済に話はおよび(いやー島で経済について話すとは思わんかった・・・)、インドネシア経済はぜーんぜんダメ、あがってきたーと思ったら、津波~、またあがってきたーと思ったら、バリの爆弾、上がんないよねーとケラケラ笑ってた。 笑ってふっ飛ばしちゃうなんて、なんかある意味すごい話だった。 日本人よ、なにを悩んでおるのじゃーーー いろいろ話してひさしぶりにたくさん笑ったよ ホテルスタッフが、「明日は6:30かー早いなー」と何度もわたしに向かっていう。 「こっちは客だ。しかもNo money , No choiceだー。(安いボートのため早朝発のみ)」 とみんなケラケラ笑う おい、きみたち、なぜわたしのNo moneyのところでいつもそんなに大笑いする! 貧乏なニッポン人はそんなにめずらいいか(なぜか逆ギレ) しかし、このホテルのスタッフ、初めて会ったときの誠実さは今は全くここにはなく。 今なら間違いなくこの客引きにはついていかないだろう。 あなたのこの「Jorking makes people happy, smile forever young!」をギリアイルでの思い出の一言としてとっておいてやろう。 くだらなくも楽しいひと時だった。 めずらしくわたしを純粋にさせる島だった find new job, save money, bring my family と約束したけど、それはいつかまだ今はわからない。 次来たときは、ホテルも新しくなってるだろうし、彼らとの意見とは別にとっても賑やかで毎晩ネオンが灯って、波の音は流行の曲に打ち消されて、馬車はオートバイになってるかもしれない。 人間とは勝手なもので、自分も単なる観光客のひとりでありながら、彼らを変えるのは観光客だと知っていながら、永遠にこの島はこのまま保ってほしいと思った。 ウブドではワルテルは24Hコンビに変わり、カフェではフリーインターネットができるようになった。 人々も昔より笑顔がなくなって。わたしがバリに行き始めたのは、たったここ数年、それでもこの変化を感じる。 昔むかしパッカーだった人が言っていた、「ウブドは昔、ほんとうになにもないところだったのよ、もう今はいきたくないわ(昔の思い出が消えてしまうから)。」と。なぜか急にこの話を思い出した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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