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ウクレレ日記っぽくないウクレレ日記🎶

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2016/08/15
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カテゴリ:普通の日記
え~~~、早速、動画のダメだしを頂いたので、

時間と環境が整って、さらに気分がのった時に、

練習し直して、音の録り直しをしたいと思います。。。(汗)

って、いつか?ですが、、、




今日は終戦記念日ですね。

私も勿論、戦争を知らない世代ですが、

身近に、というか、全国でも戦争の体験者も減りつつあり、

その危機感に恐れる者も減ってきているのかも?

・・・と思うと、反対に恐ろしくも感じてきます。

あまり戦争の話はしたことないのですが、

今思えば、母や祖父母の生前中に、もっと話を聞いておけばよかったと

後悔しているところです。

なので、少ないですが、母の体験話をこの場で私が残すべきかなと思い、

今日は、少しお話したいと思います。




その前に、戦争とは関係ないですが、

ついでに祖父母の話から始まりますが・・・

祖父母ともども、石川県のとある温泉地に生まれ育ち、

祖父(母の父)は材木屋を営み、祖母(母の母)は建設会社の娘として、

その関係からお見合いをし、というか、お見合い=結婚式当日に初めて会う、

という、今では信じられない出会いの仕方でしたが、

当時は結構、そういうのあったらしいです。

で、さらに、祖母いわく、

結婚式は白無垢で角隠しで正面を見て座っていたので

実際に祖父の顔を見たのは、結婚式が終わってからとのことでした(笑)

そんな出会いでも、一生添い遂げちゃうのですからねびっくり





余談はそのくらいで、母の戦時中の話にいきます。

物がない時代でも、近所付き合いが多かったせいか、

農家の方々から野菜や果物を頂いたり、

庭で野菜などの栽培をしていたようで、

全く食べれないということは無かったようです。

田舎だったせいか、そういった意味で恵まれていたのかもしれません。

ただ、戦時中は家を建てる人も居ないので、仕事は無いにもかかわらず、

住込みの職人さんがいたので、

祖母が何人分もの食事の支度をする為、

小学生くらいだった母にもハードな家事の手伝いをさせていたそうです。

さらに、仕事が無いので、祖母と母は、お手製のアイスキャンディーらしきものを作り、

兵隊さんの宿泊施設の側まで売りに行ったそうなのです。

それを買いにきた兵隊さん達と仲良く話をしながら、

日々過ごしていたそうなのですが、

しばらくすると、

「あれ?○○さんは?」、

「ああ、あいつは先週・・・」(悲)

と、そんな会話が度々あったそうで、

実はほとんどの方が、特攻の兵隊さんだったらしく、

兵隊さんが入れ替わり亡くなっていく事実を目の当たりにし、

母は子供ながらに辛く悲しい思いをしたそうです。

(その頃、祖父は兵隊としてどこかに行ってたらしい。

後に兵隊姿の写真を発見しましたが、話を聞いていないのでどこで何をしていたのか不明。

その後、生存していたので、無事に帰ってきてはいます^^;)




ある日、母の家の上空をB-29らしき飛行機が飛んできたそうですが、

落としていったのは爆弾ではなく、日本語で書かれたビラだったそうです。

そのビラには、実際のビラが残っていないので、あくまで内容としてですが、

『金沢近辺には貴重な建物が多いので、爆弾は落とさないので安心して下さい』

といった事が書かれていたそうです。

今になって検索などで調べてみましたが、そのような資料が見当たらないので、

本当に一部にしかまかれなかったビラだったのかもしれません。

家からそんなに遠くないところに基地や、軍事工場(飛行機製作?)があったので、

母や誰もが、そのビラの内容を信じなかったそうです。

それから間もなくして、B-29が上空を飛ぶものの、

本当に爆撃は無かったのですが、隣の、福井や富山が大空襲にあい、

空が真っ赤になっているのを見て、

涙が止まらずおびえていたそうです。

そして、終戦の日、ラジオからの天皇陛下からの放送(玉音放送)を、

家にいたみんなで正座をしながら聞いたそうなのですが、

子供だった母にはその内容が難しく、

何を言っていたのかわからなかったそうなのですが、

放送が終わった瞬間、祖母や大人の人達が、

みないっせいに泣き始めていたそうです。






と、以上が母から聞いた戦争の話でした。

今年は、天皇陛下生前退位のお話や、選挙やら、

オリンピックやら、芸能ニュースやらの為か、

気のせいか、戦争にかかわる番組が少ないような気がします。

あまり、テレビ観てないせいかもですが!?

これからの時代の人達に、どれだけ戦争の怖さや辛さが伝わっていくのか、

それを考えると、ちょっと怖いなと感じている、今日この頃。。。

戦争で亡くなった方々や、その遺族の悲しい思いを想いつつ、

未来に、永遠に戦争が無い事を、心から祈りたいと思います。





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Last updated  2016/08/15 06:34:02 PM
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