[C.12][第5ステージ]「2007年4月21日の弘法市と伏見」12 人口増加、軽佻浮薄のテレビ時代に、もう一人の龍馬は現れるだろうか?
子供の頃、熱帯魚の飼育に夢中になったことがありました。考えてみると、私は常になにかに夢中になり、夢中になると、徹底的にやる、そんな調子で一生を過ごしてきたようです。熱帯魚を飼育して、私が学んだこと、それは、環境によって、魚は大きくなったり小さくなったり、ということ。自然環境で育つのと同じくらい大きく育てたかったら、大きな水槽に一匹だけ飼うべきです。水槽に、目一杯詰め込みますと、見た目はにぎやかですが、魚は育ちません。本来あるべき大きさよりもずっと矮小な大人に育ちます。私たちは、龍馬について、どれだけ知っているでしょうか?司馬遼太郎の小説「龍馬が行く」やそのテレビ化されたドラマからの情報程度。私だって、同様ですが、講談社学術文庫に「龍馬の手紙」という一冊があります。これは凄い本です。出版されるなど夢にも思わないまま、龍馬がさまざまな人に書き送った書簡集。龍馬の肉声と肉筆がここにあります。読んで分かること、それは、龍馬はとてつもなくおおらかで、とてつもなく大きな人物だったこと。薩長同盟がひそかに締結されたとき、仲介に立ったのは、一介の素浪人龍馬。それなのに、長州の桂小五郎は保証を求めます。結盟文の裏に、龍馬が保証文言を書き記します。そのときの筆遣いの奔放壮大なこと、無類!以前、中国の長沙で見た毛沢東の碑文を思い出しました。毛沢東を現代人と考えたら、彼の行動を理解することはできません。毛沢東は、漢の劉邦、唐の李世民、明の趙匡胤のような創業の帝王の一人だったのです。その碑は、記憶では、幅10メートルはある巨大なものでしたが、その筆致は、踊るがごとく、飛ぶがごとく、まさに龍でした。龍馬の筆、とくに署名もまた、これに劣らず、活力に満ち、雄渾!これが英雄なのです。それにひきかえ、現代社会はどうでしょう?過密に魚が詰め込まれて、ほとんど窒息状態の水槽。人間の魂、心はますます小さくなるばかり。でも、小さな人間に大きな人間のことは分かりません。仕方がないので、いつもどおり、スケールの小さなロボーグラフィを3枚お送りします。