カテゴリ:ミャンマー
ミャンマー〈ビルマ〉のエーヤワディー管区にあるパテイン。昨年5月のサイクロン襲撃後から10月までは外国人立入禁止になっていた。その後,入域できるようになったが,政府のパーミット(入域許可証)が必要だ。パーミットは,現在も要る。(現地在住masaさん情報)
行ったのは昨年12月末。その9回目。ホテルレビューを入れると,10回目だ。 シュエズィーゴォン・パゴダを出た。おっと,入り口横の屋台には,先ほど境内から出てきて声をかけてきたおじさんがいて,再び声をかけてきた。 前の建物は小さな学校なのか,音楽に乗って歌声が響いていた。 揚げ物のようだ。 おじさんは,「まあまあ,ちょっと寄っていき。」と言ってきた。おじさんは,客なのか家族なのかはわからんけど…他のみんなは??と見ると,みな笑顔だ。 おじさんは,訛のきつい英語で話してきた。 売り物の揚げ物。 「食べてんか!」と皿を出し,入れてくれた。持っているのは,小エビのかき揚げのようなもの。油は濃いが,おいしい!皿に置いてあるのは,「バナナの揚げ物かな?」と思ったが,瓜の揚げ物だった。この組み合わせは,サイクロンで壊滅状態になった村の復興支援で行ったユワテジ村でもらった食事にもあった。(1/25の日記参照) ユワテジ村については,1/18の日記から11回シリーズでUPしている。 《 以前にUPの村の概要を抜粋 》 ヤンゴンからタニンを経てチャウタンの町へ車で約1時間(バスだと,1時間半以上)。さらに,チャウタン川の港から小舟で約1時間(潮の状態では2時間以上も),ユワテジ村に着く。この村は,チャウタンの人でさえ行くことはめったにないという。デルタ地帯で陸路はなく,水路でしか行けない。 地元人はおろか,外国人が行くことはない。行くには,政府の許可が必要だ。よって,外国人が足を踏み入れたことのない未知の村だ。昨年5月のサイクロン襲来で,村は壊滅状態になったのだ… さて,向こうに見える本は「旅の指さし会話帳」だ。これを渡すと,本を見ながらいろいろ聞いてきた。この本は各国編があって,コミュニケーションを取るのにはもってこいだ!まさに,指を指している。 話の中心は,日本のことだった。私は,サイクロン被災のことでいろいろ聞きたかったのだが,ビルマ人たちの日本に対する関心の方が遥かに上回っていた! 40分近く話したあと,夕方で薄暗くなってきたので,おいとますることにした。「いくらですか?」,「お金は,いらんよ!」,「本当に??」,「そうだ!」,「ありがとう!!」 そう言えば,ミャンマー人の日常のあいさつは,「こんにちは」というよりも,「ご飯食べた?」だったな。 各国で話をしていて,いつも思うが,日本のことをもっと知らなければならないと強く思う。日本にいると,あまり気がつかないが,自分の国を愛することが大事だと思うのは,海外に出ている時だ。欧州人であれ東南アジア人であれ,自分の国を大切に思っている人は多い。日本の各地のことを聞かれて,詰まってしまうと,「なんで?」,「自分の国やのに!」となる。 行きとは違う道で戻り始めた。 やはり,声がかかる。 ここでも 店の看板に,灯りが点り始めた。 折れた大木発見!サイクロンの傷跡が,なかなか見つからなかったのだ。もう7ヶ月以上も経っている。 折れて,そのままにしてあるようだ。 時計塔にも,照明が。6時前でもかなり薄暗くなるのだ。 パテイン川方向に戻るように歩いた。 続きは,次回に… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ 海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。 クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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