カテゴリ:カンボジア
カンボジアのバッタンバン郊外。この町で世話になったガイドの兄ちゃんスウィニー君のバイクで,このときはダムへ行った。あの悪名高きポル・ポトが残した数少ない有効な施設なのだ。今も稼働している。コンピン・プイと言う。バッタンバンから約35kmだ。'06年8/28の日記のリニューアル版だ。
農業の灌漑用水として使われているらしい。 右下はダム湖である。緑色をしているが,ちゃんと下に水があり,水上には植物がある。その上を子どもたちが歩いていたが,沈まない。浮き袋的なものがついているのだろうか? 傍目には,水があるように見えないが,反対側に下りてみると,水はちゃんと流れていた。ダムは,道路の途中にあり,誰でも通行できる。 下に降りると,こんな感じだ。よく見ると,少年がいる。 そこにある碑には,2001年にイタリアと日本の援助でダムを改修したようなことが書いてあった。日本は,こんなとこにも援助しているんやな。 ダム湖には,蓮が多く生えていた。この蓮の種は食べられるようだ。みんな,ふつうに食べていて,私にも勧められたのだが,どうも抵抗があって食べなかった… ダム近くに住む子どもたち(後ろが家)の相手をしばらくした。 道路からは見えないので気がつかなかったが,ダム湖の方へ下りていくと食堂があった。 建物自体は,ダム湖上にある。 横には,すでに先客がいた。地元人だ。結構多くの人が入れるようになっている。週末になると,地元の人々が結構ピクニックに来るらしい。そこで,昼食にした。 周りには,地元の子がたくさんいる。空き缶を拾い集めている子もいた。興味深げに寄ってきたりもした。 この家は,ダム湖上食堂の横にある,主の家だ。アンテナが立っているところを見ると,電気も来ているのだろう。ただし,自家発電かも知れない。電線には気がつかなかったが,たいていの家にはアンテナがあった。 内容は,チキンと鶏の鍋物。体の部分は全て入っていた。 そして画像は,キジバトだ。毛をむしり取られて,そのまま焼かれて出てきた感じだ。それを手でちぎりながら食べる。油でベタベタだ。まあ,チキンも手で食べたが,これが地元流だ。 キジバトは,初めて食べた。味は,鶏肉にレバーの味を足したような感じだった。個人的には,鶏肉の方がいい。今回は,前日にカエルも食べている。 量が結構あり,食べきれない。もったいないと思っていたら,兄ちゃんが近くにいた子ども2人を呼んだ。残りは,その子たちが食べた。きっちりと全部食べた。飲んだあとの空き缶もあげた。この子たちは,こうやって生きているのか。あげる方は当たり前に,もらう方はやや遠慮気味だ。 よく見ると,同じような子どもは,他にもたくさんいる。たまたま近くにいた2人がお相伴にあずかったわけだ。 食事が終わる頃になると,地元人らしい人々が大量にやってきた。総勢15人ぐらいはいる。私の横の場所に来た。しかし,座るわけでもなく,みんな口々にわあわあ騒いでいる。それも20分ぐらい延々とやっていた。うるささは半端じゃなかった。 兄ちゃんに聞くと,食堂の経営者の親戚がフランスから久しぶりに帰ってきたらしい。そこで,食事をもてなすことになり,席はどうするのか,メニューは…で,もめてるらしい。 しばらくすると,料理が大量に運ばれてきた。鍋物,ご飯,チキン,キジバト,魚,カエル,ウサギ,ヘビ… こらはウサギと言っていたが,本当かな??何かの動物であることは間違いないようだが… これは,ナマズか?雷魚か?? 食事を始めた。 横で見ていると,「一緒に食べないか?」と声をかけてきた。しかし,私は満腹状態…でも,せっかくなので,少しいただくことにした。ヘビは,煮込んであるようだったが,まずかった…ウサギの肉は食べるのを忘れた。食べたことがないのだ,しまった… よく見ると,数名しか食べていない。あとの人々は上の方で様子を伺っている。聞くと,フランスから帰ってきたのは,この数名で,他の人はカンボジアにいる親戚らしい。 その主人に聞くと,1978年のベトナム軍のカンボジア侵攻を機にフランスへ渡ったらしい。確か,当時はタイなどへ難民として行った人々が多かったはずだ。金持ちだったのか向こうで成功したのか,ビデオやカメラを持っていて,周りの人とは感じが違った。そういえば,米国にもカンボジアから来た難民が多く住んでいる地域があったと思う。 さて,食事が終わった。大量の料理は数名で食べられるわけがない。親戚の人々が食べるのかと思ってたが,来る様子もない。…と,そのフランス帰りの主人,周りにいた子どもたちを呼んだ。みんな一斉に集まってきた。 なるほど,子どもたちにあげるのか!子どもたちは,いろいろである。食堂の子もいれば,近所の子もいる,空き缶を集めに来た子もいるし,ただ遊んでいる子もいる。みんな一生懸命に食べていた。やはり全部なくなった。さっき,ご飯をあげた子もちゃんといた。 こうやって,どんな子どもたちも大切にされていると感じた。どの子も同じように食べていた。取り合うどころか,分け合っている。助け合って生きているのだ。他の大人たちは,たぶん別な場所で別の時に食べるのだろう。今の日本では,見られない光景だ。 このあと,フランス帰りの主人の指示で,子どもたちが順番に歌を歌い出した。感じからして,地元の民謡のようだった。 何人かが交代して歌っている。最初は男の子ばかりだったが,「シンガーを呼べ!」…で,小3ぐらいの女の子がどこからか登場した。うまかった。何曲か歌った。最後は,男の子とペアで歌い,横で別の子がペットボトルを太鼓代わりに叩いて拍子を取っていた。久しぶりに懐かしい歌を聴きたくなったのだろう。VTRにも収めていた。 さらに,何やら配っていた。お金だろうか?そのときは,時間もかなり経っていて,このあとの予定もあって帰りかけていたので確認はしていない。 何か,田舎の原風景を見ただけでなく,カンボジアの歴史も少し垣間見た感じがした。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ 海外旅行とアジア旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。 クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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