カテゴリ:ラオス
ラオスの首都ヴィエンチャン市街を歩いた。'10年1/1元日だ。その16回目。
ここは,特別支援学校も兼ねているようだ。先生と生徒が混じっている。 風船を使ったゲームが始まった。 直訳は聾学校になるようだが,特別支援関係を全て含んでいると思う。日本では,以前は盲・聾・養護学校は別々だったが,今は同じ学校種になっている。詳しく書けば,長くなるが… この施設から,日本の学校に勤めに来ているラオ人の兄ちゃんもいた。 別の棟に移動した。 ここは,義足や義足などを作るファクトリーだ。表に書いてあった通り,今日に限って休みだ。ぜひ見たかったが… こちらにも,何かある。 NGO「COPE」…ここでは,不発弾や地雷で被害を受けた人々の義手・義足やリハビリ支援をしている。休みで入れなかったが,中ではクラスター爆弾などの展示がある。少しでも多くの人々に知ってもらおうとPRするねらいがある。 ラオスには,インドシナ・ベトナム戦争当時に300万トンという莫大な数の爆弾が落とされた。それが,現在,多数の不発弾として多数残っている。カンボジアの地雷はたいへん有名だが,ラオスの不発弾の問題は,意外と知られていない。年間100人ぐらいの死傷者が今でもあるのだ。 北部のジャール平原には,多数のクラスター爆弾が落とされた。その跡は,しっかりと残っている。クラスター爆弾が実戦投下されたのは,じつはラオスが世界で最初である。 爆弾の薬莢は,外にも飾ってあった。クラスター爆弾と言うより,ボール爆弾と言われることが多い。 ラオスでは,「ボンビー」と呼ばれているこの爆弾,爆撃機から投下される。この薬莢の中には野球のボールぐらいの小爆弾が詰まっている。さらに小爆弾の中にはパチンコ玉ぐらいの鉄球が無数に入っている。これが地上で爆発して飛び散るのだ。しかし,これが爆発せずに多数残って不発弾となり,地雷のようになってしまうのだ。 これは,'04年12月,北部のシェンクワン県のゲストハウスで。 地雷や不発弾については,'09年2/14の日記をはじめ,何回もUPしている。ぜひ,ご覧を!! これは,爆弾の薬莢などを使って造られた像だ。これの意味するところを考えると… これは,以前にUPしたポーンサワンでも多く見たが,薬莢をプランターとして再利用している。 こちらは,車いすのワークショップと書いてある。ここで体験したりできるのだろうか? 私は知らなかったが,ここには結構いろいろな人が訪れている。 本には書いていないはずだが,「地球の歩き方」のサイトにも載っていた。(クリック) COPEの公式ウェブサイト(クリック)もあるのだ。 ヴィエンチャンに行かれた際には,時間が許せば行ってみられては??ボンビーの恐ろしさについては,本来は北部のシェンクワン県へ行かないと見られない現実が,ヴィエンチャンでも少しだが体験できるのだ。 この後,また歩いた。次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ にほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。 クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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