カテゴリ:東ティモール
今夏の渡航が迫ってきた。8年ぶりのインドネシア・東ティモールだ。インドネシアでは,ロンボク島5泊,バリ島2泊+3泊で,東ティモールは首都ディリで5泊だ。最後にタイのバンコクで1泊もある。
インドネシアなら,ガルーダ航空になるのだが,やや心配なのと,タイ航空のマイレージの関係でバンコク経由にした。 そうなると,行きしの移動距離は長い。時間的に関空特急「はるか」はない。京都から列車を乗り継いで関空まで行く。 深夜便で約6時間。機内で夜を明かすことになるが,今までの経験だと深夜便ではたいてい赤ん坊が泣いたりしてロクに眠れない…関空~タイでバンコクに早朝に到着。その後,空港でトランジットで4時間後にインドネシアのバリ島のデンパサールへ移動で約4時間。さらに,そのまま国内線で約40分。ロンボク島のマタラムに着く。 30日(土)の夜7時頃自宅出発~最終地のインドネシアのロンボク島の空港に着くのは翌日31日(日)の夕方5時10分。空港から町までもあるし,約23時間の移動になる。 経路は,自宅~関空~タイのバンコク~インドネシアのバリ島~ロンボク島になる。 インドネシアは,だいたい計算できるが,東ティモールの様子は全く読めない。8年前に行った時は独立の翌年でまだ混乱していた。今も安定はしていないが,どうなっているだろう?期待と不安が交錯する。 インドネシアからの独立前後の混乱で,焼け焦げた建物を多く見た。これは,あるべきはずの「ハロー・ミスター」(スーパーマーケット)だ。 こんな建物は,首都ディリだけでなく,地方へ行っても見た。 当時泊まった「ホテル・オーディアン」。周囲を金網が張り巡らされている。暴動対策やろな。'08年3/22の日記でホテルの様子をUP。(ここをクリックでジャンプ) 今回は,違うホテルに泊まる。 壁もトタンで囲まれた民家。 海岸近くで貝などを探す少年たち。 街角で,野菜を売る。 出会った人々。その後,混乱が何回もあり,街から出た人も多いという。今は,どうしているだろう。 壁にペイントしている青年たち。落書きになるかな?することがなくヒマそうな人々が,あちこちにいた。失業率は,かなり高かったと思う。 小さなインドネシア料理屋で食べた。メニューは,書いてあるほどはなかった。小学生ぐらいの女の子が働いていた。 その横の薬局。高校生の女の子が店番をしていた。どうやら横の食堂の子と姉妹らしかった。混乱の中で,学校が閉まったままで勉強ができないと嘆いていた。 たいへんな状況の中なのに,笑顔があふれる。 政府庁舎は立派ですけど… 国連(UN)の車両が多くあった。日本からも派遣されていた。当時はUNMISETが統治していた。今も,国連関係が関わっているはずだ。 今日のMy懐かしのお気に入りの曲 「WOW WOR TO NIGHT ~時には起こせよムーヴメント」 by H Jungle with t '95年 ご存じ,ダウンタウンの浜田雅功と小室哲哉のコラボ曲である。カラオケで,よく歌う。浜田さんの同級生で友人だった人物とは大阪のタレント養成所で友人だった。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ にほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。 クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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