カテゴリ:ラオス
先日,ラオスで親しくしていた友人から,何年かぶりのメールが来た。ベルギーに留学してから,ほとんど音信不通になっていた。初めての出会いは,もう11年前になる。懐かしいとともに,今でも1番印象深く鮮明に覚えている地元の人々との触れ合いなので,すでに何回もUPしているが,画像をさらに増やして,またまたUPする。
ラオスでは,何回も地元人の宴会に参加している。私のためにしてくれたこともある。ラオスでの宴会については,今までにも何回も書いた。 場所は,初めて訪れた南部の町サワンナケート。時は,’01年12月。今日は,じっくり読んで下さい!! 私は,メコン川沿いを歩いていた…と,ニコニコして話しかけてくる女の子がいた。英語で「日本人ですか?」と聞いてきた。なんでも,日本語を覚えたいと言うことだった。片言の日本語の単語を少し話せた。話しが長くなり,「お茶でも飲みながら」という感じで,近くの小さな店に入って話を続けた。しかし,東南アジアでは,たいがい向こうから話しかけてくるのは怪しいのが多い。とは言え,観光地ズレしていないラオスの田舎の町ではどうなのか?と思いながら話していた。 話をしていると,女の子は大学生で,2日後に友だちの家で忘年会&新年会をするので,ぜひ参加してほしいと言う。しかし,2日後は,次の町へ行くつもりだった。「どうしよう??」迷ったあげく,地元の人の行事に参加できる機会なんてそんなにあるもんやないと思い,予定を変更し滞在を延ばして参加することにした。 当日の昼前に,バイクで迎えに来てもらい,家へと向かった。着いてみると,比較的広い庭に欧米人らしき人が3名いた。「んん??」何か怪しい雰囲気。「まさか,何かの詐欺に引っかかるんやないやろなあ??」一気に緊張が走る。他国では,賭博詐欺や睡眠薬強盗などいろいろな詐欺があることを知っていたので,いつでも逃げられるように,出口などをしっかりと確認しておいた。 スキを見て欧米人に聞いてみた。すると,みんな私と同じように街角で声をかけらたらしい。2人の青年がオーストラリア人で1人の女性がアメリカ人であった。話してるうちに,どうやらこの人たちは怪しくなさそうだと思った。アメリカ人の女性は,ニューヨークから来たと言う。あの9.11の米での同時多発テロのあとだ。聞きたいことはいっぱいあったが,あえてやめた。 そのうち,ラオス人の人たちがどんどんやってきた。みんなで料理の下準備を始めている。楽しそうにワイワイやっている。聞くと,大学の仲間や近所の友人らしい。大学の教授もやって来た。「これなら大丈夫や!」と思った。ただし,まだ警戒は解かなかった。 飲む前から陽気な人々。みんな,たいへんフレンドリーだった。 台所だ。ガスなどない。薪などを燃やしているのだ。これで,調理をしている。これぞ,現地の家だ! 待っている間,庭でラオラーオ(ラオスの焼酎のようなもの)の回し飲みが始まった。ラオスでは,基本的に自分で酒はつがない。1人がみんなについで回り,つがれた人はまたみんなについで回るのである。「サヌー」と言う。どんどんつがれるが,自由に飲めない。 ビールは,たくさん飲まれるが,ラオラーオをたくさん飲む人は,あまりいないようである。しかし,私は焼酎が好きなので,どんどん飲んだ。度数は高い。宴会前に,すでにいい気分だ! 料理が多数並ぶ 料理は,どれもおいしそうである。スプーンとフォークもあるが,ほとんど手で食べる。 しかし,ビール(酒)を回すこの習慣,自分のペースで飲めないのが辛い…回ってきたら,すぐに全部飲まなければならないのだ。それも次々に回ってくる。 これは,私が親になりビールを回している。本来はラオラーオを注ぐが,ビールであることも多い。最近は,若い女の子を中心に飲んだふりをして横の入れ物に吐いたりすることも多い。 ラオス人に聞くと,ラオラーオはキツイと言う。確かにアルコール度数は焼酎以上に高い。だから,飲みやすいビールになるようだ。しかし,私はラオラーオの方が好きだ。「変わってるな!」と言われた。 宴会は,部屋の中だけでなく,外でもテーブルを出してやってる。次から次へと人がやって来た。 気がつくと,総勢50人近くになっていた。 そのうち,音楽が流れはじめ,みんな陽気にダンスを始めた。大騒ぎになってきた。カラオケ用のVCDかと思ったが,歌が入っている欧米のダンスミュージックVCDだ。少し古いが,乗りのいい曲には違いない。 みんな踊り出す ラオスでは,ふだんは男性と女性が体を触れあったりすることはいけないらしいが,私は長時間に渡り,酔いにまかせていろいろな女性と手をつないで踊ったりしてしまった。おおいに盛り上がった。とにかく乗りまくっていた私をどう思われたかは定かでない。もちろん,踊ってばかりでなく,いろいろな人と話もたくさんした。大学の女性の教授とも長い間話したが,「あなたたちは,どういう関係なの?」と聞かれて,困った… よく見ると,女の子の中には,ビールを横に置いてある入れ物にそっと入れていたりしている。外で飲んでいる子は,地面に捨てていたりもする。 私は,酒は好きだが,ビールは短時間に多く飲めない。苦しかった…オーストラリア人と,「好きなように飲めないし,しんどいなあ~」,「これは苦しいね。」などと話していた。女の子も,何気なく外に逃げているようだった。 でも,私はラオス人でもあまりたくさん飲まないラオラーオを1人でたくさん飲んだ。また酔いが回った。 外の様子 みんな,適当に外に出て,くつろいでいる。まともに飲んでばかりいると,身が持たない! 宴会は,6時間以上続いた。まだまだ続いていたが,夕方,終わらぬうちに数名で郊外のタートインハン(寺院)へ行った。参加していたトゥクトゥクのドライバーがただで乗せてくれた。しかし,このドライバーの兄ちゃんもかなり飲んでいる。完全な飲酒運転だ。しかし,この国では交通規則はあって無きに等しい…誰も気にしていなかった。だいたい,私も意識朦朧だ。 タートインハンは,内部は女性の立ち入りは禁止だ。タイのタートパノムの組になっていて,交流があるようだ。 連れて行ってもらったのは,私と米の女性,豪州の兄ちゃん2人だ。みんな,かなり酔っていた。 お参りした後,町の食堂へ。そこで,また食べて飲んだ。画像は,ラープ・ルアート・ペットと言って,アヒルの肉を生血で固めたラープ(肉料理)だ。 その後,写真館でみんなで記念撮影をした。 この日は,私にとってたいへん印象深い1日となった。この後,何回かこの地を訪れることになるのである。宴会にも,何回も参加することになる。 帰ったのは,夜10時前だった。途中からの記憶はほとんどない…(^_^;) ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ にほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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