カテゴリ:ラオス
まだまだ忙しく,新しいのを書く余裕がない…で,今日も復刻版で!画像は,大きくした。
私のもっとも思い入れのある地,ラオス南部のサワンナケート。今まで行った町の中で,唯一何回も宴会に参加した町である。 '04年12月31日。そう,大晦日だ。この町は,当時4回目になる。しかし,最初の2日間は友人と会えずに仕方なく1人で行動していた。 昼食に入ったセンサバーイレストランだ。この店は,ガイドブックにも載っている。何回か行っている。客は,欧米人が多い。外国人向けだろう。 この店には,日本語のメニューがあるのだ。誰が書いたか,日本語の手書きだ。カンボジアなどでは,JICAの隊員が書いた手書きのメニューを見たことがある。とにかく,メニューは豊富だ。 野菜炒めを頼んでみた。私は,不摂生なくせに,いつも野菜をたくさん食べるようにしている。ビールも2本飲んだ。 食事後,何することもなくメコン川の方へ歩いた。通りかかったある会社から賑やかな声や音楽が聞こえてくる。どうも忘年会&新年会のようだ。たくさんの人がいて,みんなとても陽気に騒いでいる。少しのぞいてみた。 …と,私に気づいた一人が,「一緒に飲もう!」てな感じで声をかけてきた。しかし,私は見知らぬ一見の外国人。今回はまだ会っていない友人も探さねばならないのだ。時間を潰している場合ではない。しかも,私はあまり飲むと…(^_^;) で,次の瞬間,ちゃんと宴会の輪の中にいた(^_^;)多くの人々が,めずらしい“日本人”に語りかけてくる。酒が進むにつれ,みんな歌い出し,踊り出した。もちろん,酒はやめない。 キーボードやPAスピーカーなどが,ちゃんとある。マイクを持って陽気に歌っている。その周りでみんなが踊っているのだ。ラオスやタイ独特のリズムに乗せて…このリズムを聴くと,なにかホッとする。 食事は,手づかみが多い。いろいろなものがある。遠慮は要らない。 男性は,ビール瓶とコップを手に歩き回る。左下には,ビールのケースが見える。とにかく,どんどん注がれていく。 女性にも,容赦なく注がれていく。注ぐのは,やはり男性だ。しかし,ある程度を過ぎると,女性は注がれたビールをこっそりと横に捨てている。 会社の玄関先で騒いでいたが,外を見ると,子どもたちが興味深げに見つめていた。向こうに見えるのはメコン川だ。さらに,その向こうの対岸はタイなのだ。 それから数時間。外がまだ明るいうちに宴会は終わり,私はホテルへと向かった…はずである。しかし,この辺りからの記憶が怪しい…覚えているのは,メコン川沿いを通って帰ったこと。ホテル前の屋台の串豚,焼き鳥を買って帰ったこと…その辺りの記憶はうっすらとあった。 次の日,デジカメやVTRを確認してみた。帰りしに通りかかった屋台や人々,遊んでいた子どもたちなどをたくさん撮影していた。まったく記憶がない。あっ,思い出した!そういえば,あちこちの店に入り、なにやら勝手に話しかけていたかも? この画像は,以前にUPしている。会社の近く。メコン川沿いで撮ったようだ。撮影時刻を見ると,宴会が終わった直後のようだ。 この画像は,デジカメ違う時刻に撮っているが,VTRによると,その後,街の方へ歩いたようだ。 これも記憶がないが,'01年から行きつけのネットショップに入ったようだ。私の知り合いの彼女も,ここからしている。 中である。フラッシュを焚いているようだが,シラフなら気を遣って撮影などしないのだが…接続速度は,かなり遅い。ダイヤルアップ並だ。マシンも古い。現在は,どうかわからない。日本語のフォントが,ちゃんとあるのだ。 ※ ’07年8月に行ったときには,店は開いているが,ネット屋部門は閉められていた。 問題は,このときだ!じつは,私が渡航した日に,あのスマトラ沖地震が発生した。以前の日記でも,何回か書いた。地震は,12/26だ。起こった時刻には,関空~上空にいた。その日は,タイのバンコクに滞在したのだ。私は,何も知らない。しかし,日本では大騒ぎだったようだ。 まず,職場。タイの知理を知っている人は1人しかいない。私が地震や津波に遭っていると思った同僚が多かったようだ。そして,周囲の人間。やはり,同じように思っていたらしい。 私は,1日目のバンコクの後は,ラオス北部のシェンクアン県へ行っていた。ゲストハウスのTVで,ニュースで地震・津波のことを伝えていたのはわかったのだが,地域が違うのでほとんど他人事だった。田舎なので,一切ネットはしていなかった。そのまま数日が過ぎたのだ。 そして,5日後の12/31にこのサワンから,やっと何人かにメールを送った。しかし,泥酔?していたせいか,送ったメールは意味不明な言葉を使っていたらしい。その返信を見て,初めてみんなが心配していることに気づいた。みんなが心配している時に,ノー天気で意味不明なメール…帰国後に,みんなに突っ込まれた。 この画像は,どこで撮ったのか記憶が全くない。おもしろいことに,そのときに撮った人々の画像は,結構生き生きとした表情で撮れていた。酔ったおかげで?いい意味で変な遠慮なく人々に接しられたかな? ホテル前にある串焼きの屋台だ。ブタと鶏が中心だ。牛は,あまりないのだ。 翌日,友人と会えて,そのことを話した。苦笑された…その晩は,友人宅で飲んだ。このときの記憶は,OKだ! 日本では始終ある記憶喪失。海外でもやってしまった。ラオスでは,友人の家で何回かあるが,今回は見知らぬ人と飲んでのこと。こんなことになったのは,ラオスとミャンマーぐらいだ。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ にほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。 クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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