カテゴリ:ミャンマー
前回の日記で,「ラオスで記憶喪失」を書いた。そこでも少し触れたが,ミャンマー(ビルマ)でも,何回か記憶をなくしている。
以前にもUPした(’07年4/18の日記=クリックでジャンプ)が,これも今一度再UPだ。現在は,状況がやや変わってきているので,加筆修正し,画像も増量した。 時は,’06年1月2日。場所は,南東部のモウラミャイン。 ミャンマーは軍政の国である。当時は軍が政権の全てを握っていた。国民は,公の場で自由な発言や活動が全くできない。秘密警察が,町中をウロウロしている。国際的にも,大いに批判を浴びている。 現在は一応民主化されているが,その点は,あまり変わってないのではないか? 首都は,この少し前の'05年11月から徐々にヤンゴンの北600kmのピンマナ近郊のネーピードー(ネピドー)に移された。これも,軍事的な理由なのか謎である。 しかし,国民はたいへんに明るく親切である。見知らぬ外国人に対してもフレンドリーに接してくれる。 ミャンマーでは,空港,軍事施設,中心部の駅,大きな橋な橋や,軍人,警察官などの撮影は禁じられている。見つかったら,たいへんなことになる! 旧首都ヤンゴンから列車で10時間,さらにピックアップで15分ほど行くと,南東部の町モウラミャインに着く。この時は,まだ橋上に鉄道が開通してなかった。 モウラミャイン横を流れるタンルウィン川には,以前ほどではないが,さまざまな船が停泊している。その中に,軍の小型戦艦もある。軍人が甲板にいたりする。 その近くの,食堂兼飲み屋に行った。行ったのは,食事時が終わった昼をかなり過ぎていた。 広い店に客は誰もいなかった。 奥には,生ビールのサーバーがある。じつは,前日にも飲んでいるが,すぐに出ていた。 店員なのか家族だかよくわからないが,みんなヒマそうだった。客の私を見ても,特に何するわけでもなかった。客が入ったので,男性の店員が注文を取りに来た。 最初は,生ビールを頼んで1人で飲んでいた。 しばらくすると,店員の兄ちゃんが話しかけてきた。いろいろと聞いてくる。私に興味があるようだ。さらに,日本のことも聞いてくる。自分のことまで,いろいろと話してくれた。互いに,怪しげな英語だが… 一緒に撮影だ。なかなかいい兄ちゃんだった。 そのうち,その店のシンガーと言う年配の女性が現れた。この店で,夜は生伴奏で歌を歌うらしい。確かに,電子ピアノやスピーカーが置かれていた。 生ビールを飲みながら話をしている間に,あっという間に時間が過ぎていった。 その食堂は,建物の半分が大きなベランダのような形で川の上に建っていた。ただし,その部分はテーブルがあるが,客が入る場所ではなさそうだ。 後から来た店の兄ちゃん。 後半は,その経営者や従業員しか行かないベランダで飲んだ。そのシンガーの女性と話した。近くには,画像の軍の小型戦艦…軍人もいる。見つかるとやっかいなことになるので,さっと撮影した。 酒が進み,話が盛り上がった。私は片言の英語しかしゃべれないので,どこまで通じているかが甚だ疑問ではあるが…そのうち,ミャンマーの公衆の面前ではタブーの軍や政治の話になった。見つかれば,直ちにしょっ引かれるはずだが,英語ならわからんやろう!と勝手な判断で好きなことを言い合った。思っていた通り,かなりいろんな思いがあるようだ。 話の中から,軍や政府に対して良く思っている人などあまりいないことがよくわかった。批判のオンパレードだ。軍事政府がいくら統制しても,一般市民は,おかしいことがよくわかっている。これから,どのように進んでいくのだろう??と,このとき思った。 そうこうしているうちに,5時間経っていた。次の日は早朝からバスで移動だったので,早い時刻に切り上げた。とは言え,7時半ごろだ。 生ビール15杯(5250チャット=当時約570円),ご飯の値段は忘れた… 片隅に,小さな祭壇がある。 夜の街だ。タンルウィン川沿いに,夕方から屋台が出る。 記憶はかなり曖昧だが,いい日だった! ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ にほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。 クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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