カテゴリ:東ティモール
東ティモールのディリ。乾季で干上がった川を歩いた。時は,’12年8月9日。同じ所を,ちょうど1年前にも歩いている。
’11年8月の様子(クリックでジャンプ) 似たような光景になるが,大きく違うのは出会う人々。これが楽しい。その4 川を戻る。川岸の民家。遠くで,すでに子どもたちがスタンバイ?さっきは見なかった子だが。 勝手にやってくる。 人が変わるが,さっき見た子もいる。 しかし,このサインは多少違えど,みんなやっている。何か意味があるのか? ちなみに,私は30年近く前からいつも,このサインだ。これは,元レスラーのスタン・ハンセンのポーズで有名になったテキサスロングホーンだ。(’11,ディリの海岸で) 少年の頭髪。 よく見かける水浴びなんだが… すぐ横は,これだけの水。 反対側の,こっちは水がない。どういう基準で水が消えてるんかな?? 水が流れていると言うより,澱んでいる…後ろには,上の家からの排水溝のようだ。じゃあ。衛生状態は?? バイクにインコを乗せていて,私を見ると,わざわざエンジンを切って止まって写った。 川の横は,いくつも上がっていける道がある。 石垣で堤防を造っているが,川岸に上がると,地面が削られている。雨季には,ここまで水が来るんだろうか? 画像は,やや明るく感じるかも知れないが,元の画像よりも少し落としている。本当にカンカン照りで,明るいのだ!かなり暑い。こんな中を,何時間も歩いている。半袖半パン帽子無し! もう少し進もう。 次回に続く… ※ これより下は,昨日もUPしたが,この国へ行く人は本当にめったにいないが,旅はちゃんとできます。ぜひ,行って下さい!! 東ティモール編は何回もUPしているが,どこにあるのかご存じか?インドネシアの中にある。ティモール島の東半分と飛び地で西ティモールの一部にある。 ’02年5月,複雑な経緯があるがインドネシアの占領から独立。実際は,ポルトガルからの独立。 その後,’06年~’08年には,いろいろな動乱が起きている。’06年の動乱の時は,住民のほとんどが難民となってディリを出た。 地図の画像は,JICAのサイトより引用。飛び地オエクシなどを加筆。 私は,初めは’03年8月に行った。独立1年後だ。独立後も騒乱が起きている。 今までも何回かUPしているが,独立後に焼き討ちに遭ったスーパー。私が行く何ヶ月か前だろう。 撮影は,もちろん’03年8月だ。 ここも,焼き討ちに遭った跡。 これも,’03年8月。 これは,民家。 同じく,’03年8月。 今でも… 投石や暴動の対策として,窓に金網を張っている。 ’11年8月。 形式はかなり変わったが,今でもUN(国連)が,治安維持に関わっている。 これは,’12年8月。 左は,UNMIT(国際連合東ティモール統合ミッション)の駐屯地。厳重に警備されている。駐屯地は,あちこちに点在するが。 ’11年8月。 なお,UNMITは,この前の’12年12月をもって活動を終了した。 次回に続く… ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ にほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。 クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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