カテゴリ:東ティモール
今日まで,東ティモールの首都ディリの川底を歩く編を6回に渡ってUPした。UPして思ったことや,もらったコメントから,’03年の人々の様子を集めてみようと思った。すでにUP済みのものがほとんどだ。
今日2回目のUPになる。 初めて行った,’03年8月。独立は,’02年5月。ほぼ1年後に訪れた。 この前から書いているが,複雑な経緯の中でインドネシアの占領から独立。実質,ポルトガルからの独立。 独立1年後だが,独立後も騒乱が起きている。今までも何回かUPしているが,独立後に焼き討ちに遭ったスーパー。私が行く何ヶ月か前だろう。 撮影は,もちろん’03年8月だ。 ここも,焼き討ちに遭った跡。 これも,’03年8月。 これは,民家。 同じく,’03年8月。 以上は,昨日までもUPしていたもの。別に“危ない!!”と言うことを強調したいのではなくて,世界では実際にこんなことが起きているということを伝えたかったからだ。 ちゃんと旅はできるので,大丈夫です! 当時は,かなりたいへんな時であったことには違いない。しかし,出会う人々の明るい姿には,本当に驚いた!強烈な印象として今も残っているからこそ,何回もUPしている。 人々は仕事が無く,街には多くの人々で溢れていた。学校は全て閉鎖され,子どもたちも行くところがないのだ。 以降は,ほぼ説明無しで,並べる。 2人は高校生。「早く学校へ行って,勉強したい!!」と強く言っていた。 これは,何の気ない画像に見えるだろうが,私の撮った膨大な写真の中で最も印象に残っていて,強いメッセージの感じられた画像なのだ。これは,デジカメではなく,VTRの静止画機能を使ってとっさに撮った画像だ。何回もUPしているが,やはり今でも最もお気に入りの写真だ。おそらく,形を変えて私が最も多くUPしている画像だと思う。 街角のこの親子は何を想う。お父さんは,遠いところから私に声をかけてきた。撮影の瞬間,「俺たちは,負けてないぜ!」とばかりに指を立てた。横の少女も,強い視線を送る。このときの様子は今でも鮮明に覚えている。 当時は,独立前後の動乱で,たいへんな中なのに,人々は本当に強く明るく生きているな!!と,強烈な印象を持った。 その後,’06年~’08年には,いろいろな動乱が起きている。’06年の動乱の時は,住民のほとんどが難民となってディリを出た。 昨年12月には,’02年の独立以降,組織を変えて統治に関わっていた国連のUNMITも,活動を終了した。今後,どうなっていくか本当に心配でもあり期待もしている。 東ティモールの地図。 外務省のサイトより引用。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ にほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。 クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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