カテゴリ:アジア
今日は,昭和の日だ。そう言えば,以前は天皇誕生日だった。こないだから,靖国について,C国やK国がゴチャゴチャ言ってきている。昔は何も言ってなかったのに…
まあ,この場で,細かい話をするつもりはない。 と言うことで,アジアで旧日本兵の慰霊碑を見たことを思い出した。各国各地にあるが,私は2カ所。’06年に,それぞれUPしているが,今回は画像を増やしてまとめてUPした。 ’04年8月,バングラデシュのチッタゴンで。 第2次世界大戦で戦死した連合軍の兵士の墓だ。街の中心部からは,約2kmだ。街はうるさいが,ここはたいへん静かだ。入り口には,名前を記帳するノートがあった。 ,たいへんきれいに整備されている。手入れが行き届いている。管理人のような人がいた。墓には,1人ずつ名前や場所などが書いてある。ベンガル語と英語が併記だ。ベンガル語のみの墓は,地元人か? 遠くアフリカから来た兵士の墓も多い。 十字架 その片隅に,日本軍兵士18人の墓があるのだ。敵国の連合軍と一緒に埋葬されているというのも不思議な気がするが,ここはバングラデシュだからか?まあ,終戦すれば敵も味方もないが。 怪しいスペルも多いが,日本人の名前だ。1945年,終戦の年だ。 ’05年12月,ミャンマー(ビルマ)のバゴーで。 バゴー滞在の最後の日,列車が来るまではまだ時間があった。荷物をバゴー駅に預けて,サイカーのドライバーが連れて行ってくれたのは,バゴーで有名な全長55mあるシュエターリャウン寝仏がある寺院を超え,しばらく進んだところにあるごくふつうの寺院。 「なんで,ここに??」と思った。「ジャパニーズ!」サイカーのドライバーは,僧侶からカギを借りてきてさっさと奥へ進む。「何があるんやろ?」…と,ある施設の前でカギを開ける。 中に進む 「あれ?日本語や!」…『鎮魂』と書いてある。 読むと,ビルマ戦線に散った戦友の慰霊碑を,徳島県人の方々が四国四県の人々を中心に祀って建立されたようである。寺院の片隅でひっそりとあるのだ。ドライバーは,日本人である私に紹介してくれたのだ。手を合わせた。 寺院の僧侶と。1番偉い人のようだった。(たぶん…)この方が指示を出したり,カギを出したりしていた。何か,一緒に並ぶと神妙になってしまう。 ここでは,多くの子どもたちが寝泊まりして生活しているようだ。別の建物では,食事中だった。質素な食事だが,少なくとも毎日の食事は保証される。 横には,休憩中?の子がいたり。ここで,勉強などもしていると思われる。 建物の中では,子どもたちが朝のお勤めをしていた。たくさんの子どもたちがいた。私の姿を見つけると,みんながこっちを見てくる。「先生の方を向き!」とばかりに前を指さす私。しかし,撮った写真には,しっかりと私を見ている子どもたちの姿が… 建物を出ても,しっかりこっちを見ている(^_^;) 寺院そのものにも,日本人関係者の心づけがあるようだった。ビルマ語の下に,「かつすけ いけだ」「サガ ジャパン」の英語が。 こういう場所へ来ると,戦争のことを考えたり,日本人ということを再認識したりするもんだ。さらに,寺院に預けられる子どもたちについても考えさせられた瞬間だった。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。 ぜひぜひお願いします! 人気ブログランキングへ にほんブログ村 アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。 クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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