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CELICA!

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2008.01.26
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カテゴリ:カテゴリ未分類

遠方にいる父方のおばあちゃん、90代で
何処が悪いとかではないけど
体力的に弱ってきてるし
いつ何があってもおかしくない歳なので
会わせたい方がいたら今のまだ元気なうちに
会わせてあげてくださいと言われたそうで
ばあちゃんの面倒見てるおばさんから
電話があった。

急に危篤だからといわれてもすぐに
駆けつけられなので
最後の別れを言ってくると・・・
電話もらった翌日に飛行機の予約入れてました。

ばあちゃんのとこへ向かう日(昨日)の早朝

誰かが泣きながら電話してきたという。
「ばあちゃんが死んだ」とかろうじて聞こえたので
私が電話してきたのだと思ったらしい。

せりかね?どうしたんね?○○のばあちゃん(パパの母親)に
なんかあったんね?と聞いたらしい。

その電話は、父方のばあちゃんが亡くなった知らせでした。


まだ元気な間に会いにいくはずだったのに
急に亡くなってしまいました。だから
ばあちゃんのこととはぱっと浮かばなかったそう。


施設に入っていたのでおばちゃんは付き添いしてなくて
いいのですが、たまたま夜付き添いで隣に
一緒に寝てて明け方目が覚めてばあちゃん触ると
冷たくて顔も真っ白になっていたそうです。

結局両親は、最後の元気な姿のばあちゃんに会えなかった。
でも全く苦しんだ様子も無い、老衰なのでよかったのだろう。

ばあちゃんは、もともと一緒住んでた父の兄と
その奥さんと上手く行かず家を追い出された。
うちの実家は、母方のばあちゃんの面倒みてる。
だから引き取れないので結局遠方の父の姉が
引き取った。

じいちゃんはもう私が子供の頃に亡くなってる。
ばあちゃんはじいちゃんと同じ墓に入りたくないと
言ってた。
なので、うちの両親が早めに自分たちの墓を作り
ばあちゃんに何かあったときは
そのお墓にと考えていた。

父の兄弟できっと話し合いがあるだろう。

わがままで子供嫌いで気が強かったばあちゃんに
私は可愛がってもらった記憶は全く無い。
後妻の母を虐めていたのは子供ながら気がついていた。
でも両親は、老後も引き取ることは出来なかったけど
金銭的に援助し、遠方なのによく会いに行ったりしてた。
ばあちゃんをとても大切におもってた。

ばあちゃんの訃報を聞き、母は泣いていた。
いろんな思いがあっただろう。

私の結婚式、ばあちゃん2人に花束をあげる演出をした。
父方のばあちゃんも母方のばあちゃんにとっても
まだとても元気だった頃だ。
あの時のばあちゃんを今でもよく覚えている。
とても喜んでくれてた。
私はばあちゃんにとって初孫だった。

私の中のばあちゃんの記憶はあの時の
ばあちゃんのままだ。
ばあちゃん、バイバイ。





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Last updated  2008.01.26 20:51:19
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