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だいたい、出産に耐えうるほどの
体力と精神力を備えた妊婦、産婦が 昔と比べてどれだけ減っているか なぜ、誰も言わないのだろう。 「雅子さん」が不妊になって 週刊誌から○高の文字が消え 高齢出産が危険を伴うという認識は 女性の社会進出という 華々しい人員不足解消しか考えていない アメリカ式経済の前に平伏した。 助産婦が取り上げていた時代は 妊婦やその周囲の経験豊富な人々の ボランティアの言葉など意識していなかったボランティア精神があった。 医師不足は単なる数字上の医師不足ではなく 生命の危険を伴う妊産婦が増えていること。 そしてそれらの人々が 自らを生命の伴う妊産婦と認識がないために 「健康そのもの」でない状態で家に帰られないことを 受け入れられないこと。 そして 認識があったとしても 「生命の恐怖」に我慢できず 助産院で産むようなリスクを避けたいと思うこと。 私はこどもの頃に死んでいた人間で 医療の恩恵に授かって生き続け こどもを産んだ。 私が助産院なら 間違いなく 私もこどもも死んでいた。 今の時代に私がこどもを産むとしたら? お金を貯めて高いお金を払って 安全を買いにアメリカへ、行く? そしてまた「経済」の前に平伏し 格差の波に命の価値が決められる。 それをなぜ 行政もマスコミも そして医療者も 言わないのか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/10/24 07:36:33 PM
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