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アボリジニのヒーラーになるには、精霊の許可が必要だという。
人にできることは、準備をして待つことだ。 いろいろな本に「人の可能性は無限。すべて自分次第」と書いてあるし 私もそう思っていたけれど、それを超えるものがあるような気がする。 自分の中心を見失うと、精霊に取り込まれてしまう。 自分の気分と自分は違うと知ること。 友人に傷つけられたと怒るとき、友人は精霊に取り込まれていることを知ること。 友人に怒りをぶつけることは、友人にも精霊にも敬意を欠いている。 先住民がすべてに思いやりを持っているのは、彼らが思いやり深いというだけではない。 自分が生き残るために必要だからだ。 間違った場所で眠ってしまったら、猛獣に襲われて終わりだ。 「今ここ」にいて、すべてのものに心を開き、感じること。 差異をなくそうとしてはいけない。多様性を保ったままで、つながれる道は深いところにある。 お酒を飲んだり、スポーツの試合を応援しているときの一体感は シャーマンの陶酔状態に似ている。 それは目に見えるものを超える魅力的なものだけれど、それに取り込まれてはいけない。 そういう意味で、いまの韓国のキャンドル・デモには危機感を感じる。 米国からの牛肉の輸入をめぐるデモなのに、デモ自体を楽しんでいるみたい。 アーノルド・ミンデル「シャーマンズボディ」を読んで感じたこと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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