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カテゴリ:問わず語り
以前同じ会社の同僚で、よく飲み歩いた友人のお子さんが亡くなられたと言う報せがあった。
詳しくは判らないがどうも屋外で遊戯中の不慮の事故らしく、まだ11歳だというのに・・・絶句。 「人生これからというときに」という言葉があるが、ある意味では人生これからと言うスタート地点にさえも立つ前に・・・花で言うならば蕾のままで散ったという感が強い。 彼の奥さんも10年ほど前に他界され、男やもめで二人の子どもを育ててきただけに、心中察するに余りある。 今度の木曜日が通夜とのこと、何をおいても駆けつけるつもりだが、友人になんと声をかけてよいやら。おそらく、顔を見たら何も言えないだろうと思うのだが 事件事故にかかわらず、若い人の命が失しなわれたという報せを聞くたびに、悲痛な思いがする。 老いを感じるには、まだほんの少しだけ早い年齢だと普段自分では思っているのだが、こんな身近で若い命が失われると、この歳まで何を成すこともなく、ただ漫然と生きてきた我が身を恥じるばかりである。 どうか、安らかに・・・。 さて、週はじめから暗い話題ではじめてしまいましたが、多少関連して・・・ちょっと難しい課題です・・・。 昨日は、大田区の某公園で行われたイベントに三線を持って出かけたのですが、このイベントの主旨は「反戦・平和」「子ども達に豊な未来を」という事でした 政治的なイデオロギーなどとは関わり無く、「反戦・平和」「子ども達に豊な未来を」こういった事には僅かでも協力できればと思います。 ところで、今日の国会で、憲法改正についての手続に纏わる法案が成立しました。多くの反戦団体は、憲法九条の堅持を謳いこの「日本国憲法の改正手続に関する法律案」いわゆる「国民投票法案」に反対をしてきました 個人的には、憲法96条に改正手続が明記されている以上改正手続に関する法律が整備されていないのはおかしいと思うので、法整備についてはやむを得ないかなと考えています 問題は、私たちが国会議員の立案する憲法改正(修正)案に対してはっきりとイエスとかノーが言えるように、関心を持って見つめることだと思います イエスであろうとノーであろうと、命を尊び、皆が安心して暮らしてゆける国でありたい。誰もが確信を持ってそういう選択が出来るようにしたいものです でゎ、また。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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