|
カテゴリ:問わず語り
うひゃぁ~(>_<)
寒い寒いと思ったら・・・ 昨夜は東京でも雪が舞ったらしいです 昨夜の10時半過ぎらしいので 三線のお稽古からの帰り道がもう少し遅かったら 東京で雪が見れたのに・・・ 家で暖房全開状態でしたので、全く気がつきませんでした^^; しかも、昨日の日記に書いたとおりMIDIファイルと格闘してましたし・・・(笑) さてさて、本日は、阪神淡路大震災記念日-防災とボランティアの日-です 13年前の今日、兵庫県南部で起きたマグニチュード7.2の地震で 6300人余の尊い命が失われ 30万余の方が避難所での生活を余儀なくされました 全国の自治体などでは、9月1日の「防災の日」と同様に 様々な防災訓練やイベントを行っているようです 思い起こせば13年前の今日・・・ 私は丁度、長野県の戸隠村という山奥に滞在中でして スキーと蕎麦が目的で・・・^^; 山奥の民宿で迎えた平成7年1月17日の朝 寝ぼけ眼でテレビをつけて 目に飛び込んできた映像を認識した瞬間 一気に目が覚めちゃいましてね・・・ 崩落した都市高速道路 倒壊・崩壊したビルや家屋 あちらこちらで立ち上る黒煙と炎・・・ まず「どこ?」という疑問 「どこだ!?」・・・背後で飛び交う仲間たちの声 ヘリコプターで撮影された、壊滅した街の風景だけが流し続けられ・・・ 「東京か?」・・・不安、焦燥 それから、ジリジリと僅かな時間でさえも進まない感覚 そして、やがて・・・ 「神戸」という音声が耳に入った瞬間に・・・ 後から振り返ると・・・ 被災された多くの者の方々には 本当に、本当に、申し訳ない感情に支配されておりました それは「安堵感」という感情でした 家族、家、会社といった自分の生活基盤が無事であったという「安堵感」・・・ そんな感情に浸っている自分に気づき 自分は、自分の事しか考えられない弱い人間なのだと思い知らされ 色々な面で強い衝撃を受けた日でもありました あの日の事は、被災者では無い身ながら、今でも忘れる事はできません その後、たまたま防災に関わる仕事をする機会があって 地震や火災についての初期の対処などを学んだり、人に伝えたり と言うようなことに従事する機会がありまして・・・ その関係で、阪神淡路大震災を参考にする事が多く また、阪神淡路大震災を主題として話をすると 関心を示してくれる人も、その頃は多かったですね そんなことで、震災後何年か経ってからですが 阪神淡路大震災の事を調べたりもしました そんな事で、直接的ではないにしろ 阪神淡路大震災という事象は、個人的にも深い思いがあるのです さて、地球のメカニズムや歴史を振り返れば日本列島に限らず すべての陸地は地球の上を絶えず動いている訳で 千や万単位の年数で考えれば 日本列島は今の形状で今の場所にあるとは限らないのです と言うか、絶対に今のままで存在し続けるはずが無いのです このような規模の観点で考えてみると 地震と言うのは一瞬の急激な変動ではあるけれども 地球規模で言えばごくごく局地的な現象で 蚊に刺されたようなものと言うか・・・? 日常的に起きて、何の不思議も無い現象なのだと思うのです 特に日本と言う国は、多数のプレートに干渉される すごく不安定な場所に生まれた島ですから 映画じゃないけど いつ沈んでも実際に不思議は無いのかもしれませんね ま、沈んじゃったら、何を備えていても無駄かもしれませんが^^; そんな訳で、いつ来ても不思議じゃない大地震 どこに集るとか、何を持って行くかとか 年に何度かは家族で話し合っとかなきゃいけません 因みに・・・地震の初期対応というのは全国どこでも一緒ではありません その地域の特性(大都市・市街地・工業地・農村地・山・海など)や いる場所(自宅・ビル・学校・地下・屋外・車内・電車内など)によって全く違います 漠然と、「机の下で身を守る」というような対処ではなく 「ここで地震が起きたらどうしよう」という目線で 今いる場所を見なおしシュミレーションしてみる必要があります こういった事は、日頃鍛えた妄想力で・・・ あ!とは言っても、くれぐれも妄想があらぬ方向に進まないよう (笑) でゎでゎ・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|