「まるまのお笑いベジタリアン」さんの所の掲示板で
(菜食について楽しく真剣に取り組まれている
とてもオープンなサイトです。
あか虫日記のあか虫さんも管理人さんのお一人。)
「菜食をする上での殺生」という様な会話がなされていました。
菜食主義というのが動物を殺生しない生き方。
だったり殺生をしない生き方。
だとすると今の私はただの菜食生活者でしかなく
最終的に何処かに感覚としてあるのだろうけれど
生活の中での大きな所を
菜食をする一番の大きな所を
「殺生をするかしないか」
という事が占めていないと思う。
菜食生活をしている理由は?
と問われれば
それは
もっと地球と会話している様な
そんな世界に
生活になって欲しいから。
大きな農場も
畑も
工場も
会話なんて何処にも無くて
一方的に
追い立てられるみたいに
どこか良くわからない方向を見て進んでいる。
地球という営みの中に
もう少し歩み寄っている
そんな生活だと感じる環境であって欲しいのだと
そう思う。
どうして植物の命は良くて
動物の命は良いの?
菌類やなんかも呼吸しているだけでも
歩いていても虫を殺しているのに。
そんな疑問が菜食の人にも
そうでない人にも浮かんで来て
全部一緒なら菜食なんて意味が無いと思うのかもしれないけれど。
殺生をしない。
というのは菜食者の大きな理由かもしれないけれど
私も悩んだ事もあったのだろうと思うけれど
上手くいえないけれど
地球という大きなゆったりとした流れの中で
無理の無いような
すんなりゆったりした流れに寄り添えるような
そんな世界に暮らしたい。
その時、今の様な大量生産大量廃棄という様な
良くわからない殺生はないだろうし
交通機関なんかも何か変わって来ていると思う。
良くわからない争い、戦争もなくなって
その土地土地の生活が帰って来て
それぞれの食物を食べ、
地球全体がまぁるく仲良く営みをはじめたら
その時
私はきっとやっぱり菜食をしていて
宗教者でもないのだけれど
精進料理が美しくて大好きで
その精神は未熟者で分からないけれど
大地と繋がり
太陽の恵みと
空気と
雨
地球そのもののような
そんなお野菜を分けて頂く。
土と太陽と水を頂く。
野菜達と良く相談して
美しい姿を出来るだけそのままに
美しいお料理ができあがる。
そんな精進料理が素敵だと思うから
その時に初めて
動物の命ではなく植物の命を頂く事に
大きな選択の過程が出て来るように思う。
動物も植物も海の生物も微生物も
地球という大きな生命体の中で
一緒に生きている。
その大きな営みに加わる事が出来たら
私はうれしい。
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