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友人のそのまた友人のパーティに行った。ファッショナブルなホクストン・スクエアのすぐ近くのロフトマンションである。香港人の大学教員をパートナーに持つ、パーティ主催者のフランス人投資銀行家は銀行員というより、バンドAIRのメンバーのような髪型と服を着ていた。特にトレーナーはなぜか絵の具が飛び散らしたものを履いていたので、私はそれがデザインとは気づかず、「あんたは画家なの?」と聞いてしまった。彼は「ううん」とうつむいて答えた。
新しいレセピを考案することは新しい天体を発見すると嘯いた作家と同じ国の人だから、食い物飲み物に情熱をかけるのはわかる。自分の考案したシャンパンに梨のシャーベットとリカーをいれたカクテルをみんなのために作っていたときの、集中力とピアニストのような繊細かつ大胆な手つきはアーティストそのものだった。とどめは、人参と杏のケーキを家に持って帰りたい人のために、このフランス人銀行家がアルミ・フォイルで包んだときの仕草だ。アルミ・フォイルは空中を飛翔する折り紙となり、彼はニジンスキーのように指先をぴっしり伸ばし、あごをひきながら、奇妙なほどに数学的なオブジェをつくったのだった。 これで彼がエゴが強ければ、ただのアホであるが、非常にシャイでいい奴であるようなのである。嗚呼、フランス万歳。 中国人の作家、14年英国に住んでいるわりには英語のアクセントはけっこうきつい。 「現代中国語はいろいろな言葉を日本語から輸入しているんだよ。特にテクノロジーとか法律、経済学など...」 「ふーん。そういう日本の影響は耳にしないなぁ。」 「中国は国粋主義だから、こういう話は好ましくないんだよ。僕は、ロンドンの中国大使館なんか顔を出したことない。」 話が中国の国粋主義になり、「南京虐殺」の作家で自殺をしたアイリーン・チャンの話を私はした。 「アメリカにいる中国人などはアイデンティティ・クライシスの傾向があり、ユダヤ人を結束させるホロコーストの記憶と同様のものとして南京虐殺を神聖化しようとしたのじゃないかということを聞いた。虐殺はなかったという日本右翼の意見は馬鹿馬鹿しいが、数字を誇張するアイリーン・チャンのような商人には賛成できない」 「うーん。俺は南京虐殺は中国政府のでっち上げじゃないかと思うね。俺の両親は文化大革命時代、インテリだったからひどい目にあって、中国政府がプロパガンダでなんでもやるのを目撃しているんだよ。」 私のガールフレンドが最近読んだ本の話をした。 「コロンブスなど西洋の冒険家が世界に繰り出す50年前に、中国皇帝が船を何隻も出して世界探検をしたのよ。でも、船が出てからしばらくして首都が焼け落ちたて、迷信深くなった皇帝は、外国に興味を失ったのよ。北アメリカやイースター諸島とかいろいろなところに中国人の集落があったという証明があるという本を読んだの。この本聞いたことがある?」 「無いね。でも、それって何となく中国政府がすごく喜びそうだぜ。はったりじゃないのかなぁ。」 それからチベットの話になり、漢民族がチベットに入植していることをガールフレンドは批判した。そうすると驚いたことに中国人作家は、「俺は自由チベットのステッカーが車に貼ってある」と言い放った。 普通の中国人だったら今頃、カンカンに怒って部屋を出ているころのはずだ。しかし、この男は超越しているというか、何と言うかつかみ所がない。失言チャンピオンの傾向のある私は「あんたみたいな中国人にはあまり会ったことが無いよ。けっけけ。でもさあ、あんた中国大使館からマークされていないかね?」と言ってしまう。彼の顔が1秒くらい凍りついて、その後、しばらく何も話さなかった。私は深く後悔したが、結局何も言わないことにする。 英国人で小説を書いている男と話す。巻き毛で澄んだ灰色の詩人風の顔だ。 「一つ一つの章は独立してどこから読んでもいいんだよ。それで、中心となるのは地図で、それを読むことによって、読む順番を読者が決めるんだよ。」 「ふーん。面白い構造だね。それで、あんたの作風ってどんな感じなわけ?」 「xxxxxxって聞いたことある?俺の友人が彼の作品にスタイルが似ていると言ってたよ。サミュエル・ベケットの友人で…」 「ああ、その本ウォーターストーンズで見たことがある。復刻したやつだろ?」(あのよくわからんベケットの友人ということは、さらにわけが分からんということだろうなぁ。) 「そうそう!」 その男に私は自分の短編小説を朗読してアンビエント・ビートをつけたやつを聞かせる。 「ううん。面白いね。あなたの語り口は直線的であり、ビートも一定であるのだけど、違うリズムと方向性を持っているようだ。」 「ありがとう」(あなたが何を言っているのかよくわからないが、お世辞を言っているのだろうと理解しました。) 中学校時代の日記の批評に担任の体育教師から、「えらそうなことを言うわりには誤字が多すぎる」と書かれたことがある。賢くなりたくて、渋くなりたくてずっと背伸びをしつづけた。文学やアートが好きで、文化的な生活にあこがれて英国まで来たきらいがあるわけである。もしかすると私の夢はかなったのかもしれない。恐ろしいことだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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