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フィリピンの1週間の休みは、半日しか観光はしなかった。相棒Dが感動のあまり英国には帰らずに現地に残って働くと言わしめたマニラのスラムのドキュメンタリーを撮ることにしたからだ。援助するNGOのミーティングに出たり、足りない機材や本を買うために歩き回ったり、4つのスラムに行ってカメラを回し、いろいろなインタビューをしたりした。けっこうな量のテープとなり、これを編集するのは大変だ。
先進国の人間が出てこないほうがよいと思い、相棒Dや私が一切現れないようにしたが、後からは視点を見せる部分として私たちを少しでも入れたほうがよかったと思う。高価なカメラを見せびらかしたり、生活やプライバシーの邪魔をしないように低い位置でカメラを回していないような雰囲気で撮ったりしたため、イメージが無駄になったきらいがある。反省点は多い。 マニラの3分の1の住民がスラムに住み、その住環境は劣悪だ。ラテンアメリカなどでよくあるように反面、金持ちは徹底的に金持ちだ。昔は工場で働いていた貧民が今や、一家全員でニンニクの皮を剥いたりして生活している。そして熱帯の豊穣たる農業国なのにニンニクは中国から輸入しているという始末である。 イメージを撮っていてスラムの人間は存在感があると思った。家は3畳ぐらいの部屋に家族5人住んでいたりするので、家族や隣人や近所の人との対話や付き合いは濃い。よく笑う。服もちゃんと洗って威厳を保っている。テレビはない。金はないが時間は徹底的にあるようだ。 凧を一日中飛ばしていたり、手のひらでずっと水溜りの水をすくっている子供を見るにつけ、「本当の子供時代を過ごしているんだな」と思った。しかし、彼らは通学費用や昼飯代などが払えないため義務教育も受けれない場合が多いし、病気で亡くなる場合が多いのであまり、この「本当の子供時代」とやらを美化する資格は私にはない。 スラムを歩きながらビデオを撮っていて、子供用のピンク色に塗られた棺おけが公会堂みたいなところに安置してあるのに気づいた。思わずビデオを別の方向に向けた。手がぶるぶる震えた。 協力してもらったフィリピンのNGOはスラムを助けているためにリーダーを何人も殺されている。フィリピンでは農民や労働者やスラムを助ける活動家を土地の有力者や警察や軍隊などがヒットマンを送り射殺している。そしてほとんどすべての殺人事件はろくに調査もされず迷宮入りとなる。アムネスティ・インターナショナルによれば今年だけで70人ほど非法殺戮されている。日本でも小説家や大学関係者やNGOがこの問題を考える集会などを行なっている。 映画として以下のようなものをつくりたいと私と相棒Dは考えている。 1)ナレーターが「これが私の考える政治的メッセージだ」とコメントを述べるのではなく、スラムの住民やNGOの活動家がしゃべる言葉をつなぎ合わせることにより、メッセージが間接的に浮かび上がるという形のドキュメンタリー。 2)凧で遊ぶ子供を題材に、スラムを取り巻く状況を私が英文の詩にした。これをタガログ語にしてスラムの女の子に朗読してもらい、音楽(アコースティックギター+電子音のエレクトロニカ)をつけ、アート映画にする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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