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何を血迷ったか、多忙期に短期で日本へ旅行することにした。ガールフレンドが2週間日本で仕事をしているので、その間に行けば航空券代が半額浮くという考えだった。その代償たるや、行く前の週は土日のみならず朝の3時まで働くことを6回ぐらいやることになり、しかもラップトップで飛行機や電車の中で働き、帰省した家でも働き、本当にこんな時期に休暇をとるなんて馬鹿なことを考えなければよかったと涙がちょちょ切れたぜ。
友人にも兄にも連絡をとらずに、関西まで来たガールフレンドと四国の松山に2泊3日旅行をした。 松山は兄の住んでいた金沢と似た、感じのよい観光都市で、働きすぎで朦朧となった頭にはちょうどよかった。英語も通じない国で行き当たりばったりで旅をするのにはエネルギーがちょっと低すぎたから。 岡山まで新幹線に乗り、島をつなぐ大きな橋を特急で渡ったころには、車窓の絵葉書のような風景を見ながら仕事の心配をしていた。しかし、道後温泉でぶらぶらしているうちに、遣り残した仕事などはどうでもよくなった。 ガールフレンドは政府が厳重抗議したため日本版発禁となったと噂されるPRINCESS MASAKOの本を読んでいたので、皇室ご用達のホテルに朝飯つきだけで泊まることにした。HIROHITOが泊まった部屋の応接間が保存されており、皇太子夫妻も最近泊まったとのことが掲示されていた。このホテルは確かにサービスはよどみなく、壁には皇室の格式にあやかり、松山のロータリークラブか何かと似たような会員の名前が、かまぼこみたいな板に書かれ飾られていた。チェックアウトが1時間遅れたら、しっかり延長料金を取られたため、「へっへへ。旦那ぁ。こりゃぁラブホテルみたいでんなぁ」とホテルのフロント男性に言おうと思ったが、私の育ちの悪さが見えると思われ自粛した。K談社も発行自粛したもんね。 「せんとちひろの神隠し」のモデルになったといわれる道後温泉にもミカドの肖像は見え隠れしていて、HIROHITOが入った風呂も重要文化財になっていた。二階まで湯を引いた大理石の風呂に、檜のパネルが張り巡らされたものに、HIROHITOは絹の浴衣を着て入ったらしい。裸になれば人間は同じという言葉があるが、彼はやはり人間には戻らなかった神様なのだろう。 松山武道館でガールフレンドにエキゾチックな体験をさせるために、PORNO-GRAFFITTIというJ-POPのどうでもいいバンドのコンサートを突発的に見に行った。このバンドの名前は過激だが、70年代風の古いロックとじっとり湿った歌謡曲とセッションミュージシャンの激うま演奏のジャンル系ポップという節操のない音楽だ。バンドのイメージがパンクとか反逆であるだけに、歌詞の内容のどうでもよさと曲の合間にするオールナイトニッポン的なダベリは保守的でいらいらした。女子高生が曲にあわせて腕を振っている。怒りが湧き上がってきたのは残業のしすぎなのだろうか。 ガールフレンドはスーパーマーケットの二階にある中国人が経営する整体のセッションをした。その店は最初小さく場所を借りてそれから拡張したのだろう、店の真ん中に段差があり、ガールフレンドがこけそうになった。中国人は「姉さん、気をつけたほうがいいね。格差があるからね!」所得格差が広がっていることと、段差をひっかけた他愛もない冗談だった。ミカドの存在は社会の流動性を防ぐことはいうまでもない。松山で私はひとりの観光客としてパンクの必要性を強く感じたのであった。 おしまい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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