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テーマ:◆子どもと向き合う◆(22)
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父親はずっとこの仕事を認めてはくれなかった
女の子がそんなに必死になって仕事をしなくていい 体まで壊していって、所詮他人の子だということに気付きなさい 雇い方を見ていれば解る、所詮小さな小さな企業だと… 数年前… その父が大手企業の就職を用意(?)し、一年だけでもいいから、普通の社会を見てみなさいと話をされた 心配ばかりを掛けていたのでそれに従う …はずだった そこで楽を覚えて、そのままいくだろうと思っているんだろうな 私だって「逃げたい!」って感情に支配されていた時期だってあるし、辞めたい!と思う日だってしょっちゅうある… 「この仕事が生き甲斐だ!」って連呼していた様な人たち程、体を壊したり、疲れて辞めていったんだし… それもいいのかも知れないな… そう思って一度は従う …はずだった 辞意を責任者に伝えようと思って出勤した日 下クラスの授業でヤンチャ娘が大きな声で 「何か今日の先生嫌や!何か変や!云々」と言った それが引っ掛かりながらも、授業終了後に一般企業に就職しようと思う事を校の責任者に伝えた すぐに他校から、エリア責任者がやって来て、一緒に頑張っていこう、親御さんに頭を下げて頼むから考え直して欲しいと言われた 「考えておきます」と返事し、帰宅しようとしたのだが、ヤンチャ娘の一言が引っ掛かり、その足で夜中親に会いに行った 生まれて初めて親に頭を下げた 子どもたちとは離れられない… 私には私の生き方がある… 理解して欲しいと伝え、自宅に戻った 契約更改制の講師は実績があれば授業単価は高いが、それ以外は全て無料奉仕である 親はそれが理解出来なかった それでも授業何時間も前に出勤し、明け方にしか連絡が取れない私に不服を持っていたのだろう 体を壊す度に心配を掛けた 高熱が出ても気付かず授業をしたせいで未だに耳の機能が調子悪い←これで保険も入れなかったりする… 笑 それでも… その結論を出したママゴンは 「あんたはアホやな♪ それだけアホならとことんアホになり~♪」と、何も言わなかった日の事を思い出していた そこまで拘った職場を辞めると言った自分について色々考えていた 一緒に頑張っていこうと言った人が皆疲れて去っていった事を考えていた もうどうし様も無い、一緒に辞めようと話をされても頑なに私自身が勤め続けたのには理由があった 3年前… ある学年の中学受験の結果発表の日… 誰の前でも決して泣かなかったある女生徒が居た 二人きりになり、「もういいよ」と言う私の言葉にただただ泣きじゃくるお子が居た その生徒との「約束」があったのだ 『3年間、先生がこの悔しさを覚えておくから 絶対に一緒に居るから』 それが全てだった様な気がする 人にとっては馬鹿らしい「約束」なのかも知れない だけど、あの日、あの場所での涙を溜めた瞳だけは忘れられなかった 3年間見守り、巣立って行くのを見送るのが、あの日の泣いていたお子に対する、自分が納得できる「罪ほろばし」だったのかも知れない 「あの日」の悔しさを消化するには3年必要だったように思う その「約束」も果たせる時だった 毎年の契約更改時も、就労条件の具体的な事は、唯「そのクラスの全決定権が私にあるという条件を継続して頂けるなら契約更新する」とだけ伝えて来ていた ただ「約束」を守りたかった ―続― お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年01月12日 02時02分01秒
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