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2013.06.11
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カテゴリ:スピリチュアル
"最後にティールタについて理解すべきことは、象徴的な行為の価値だ。たとえば誰かがイエスのもとにやってきて、罪を告白する。イエスはその人の頭の上に手を置き、「行きなさい、あなたの罪はすべて許された」と言う。さて、どうしてイエスは頭上に手を置くだけで、彼らを許せるというのだろう? それに人の罪を許すイエスとは何者か? もしその人が殺人を犯していたとしたら、こんなふうに許されるものだろうか? インドでは、どんな罪を犯しても、ガンジスで沐浴すれば罪から解放されると言われている。それは狂気の沙汰のように見える。盗みを働いた者、人を騙した者、殺人を犯した者が、ガンジスで沐浴したら罪から解放されるなどということが、どうしてあり得よう?

ここではふたつのことを理解する必要がある。罪とは実体のある物事ではなく、その記憶だ。あなたにまとわりついているものは罪、すなわち罪を犯すという行為ではなく、その記憶なのだ。人を殺してしまうと、その記憶は生涯にわたって絶えず悪夢のように付きまとう。内なる事象を知る者は、人を殺そうが殺すまいが、それはドラマの一部にすぎず、さして重要なことではないと言う。誰も死なないし、誰も殺されることはない。だが殺人の記憶は、石のように重く胸にのしかかる。その行為は犯され、無限なるものへと消えていった。無限なるものに吸収された。実のところ、行為はすべて神に属しているのだ。あなたは不要に煩わされている。あなたが盗みを働いたとすると、それは神があなたを通して行ったことだ。あなたが誰かを殺したとすると、それは神があなたを通して行ったことだ。あなたはその行為の記憶ゆえに、不要に袋小路に入り込んでいる。そして、その記憶が重荷になっている。

イエスは「悔い改めなさい、そうすればあなたの罪を取り除こう」と言うーするとイエスを信頼する者は重荷を解かれ、清められて家に帰っていく。現実には、イエスはあなたを罪から解放するのではなく、罪の記憶から解放している。記憶こそまさに罪の正体だ。イエスはそれを取り除くにすぎない。同じように、ガンジスはあなたを罪から解放するのではなく、罪の記憶からあなたを解放する。ガンジスを信頼し、沐浴すればすべての罪から解放されると信じていたらーもし何千年にもわたって築かれた集合的無意識がこの信念を強めるとしたら、また彼の住む社会もこの強い信念を確証しているとしたらー人は解放される。罪はすでに犯されてしまったのだから、沐浴が罪から人を解放することはできないー犯された盗みや殺人に関しては何も為し得ない。それについては何も為すことができないーだが、そのような信念を抱いた人がガンジスの水から出てくると、たとえ沐浴が単なる象徴的な行為であっても、信頼の純粋さと力によって、彼は罪の念から解放される。"

(隠された神秘 和尚 p.91〜p.93)より引用

OSHOによると、ティールタとは、巡礼の聖地という意味。

記憶こそ罪の正体というあたりで、ホ・オポノポノのことを思い出した。あれは記憶をクリーニングすることを何よりも強調するワーク。
ホ・オポノポノの鍵となるのも、4つの言葉(もしくはそれ以外のクリーニングツール)への信頼なのかもしれない。
ヒューレン博士は、心を込めずとも、ただ繰り返せば効くというし、それも当たっているのだけれども、心を込めなくても効くんだと思えるということは、より強く4つの言葉を信頼していることでもあるわけで。






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Last updated  2013.06.11 21:45:17
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