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2014.03.23
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カテゴリ:スピリチュアル
 Prem SheelさんのFBへの投稿よりシェア。

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死に老若の区別はない。
死は来る時には来る。
死の前で
私たちにはなす術がない、
そして
この死に対する無力さこそが、
あらゆる宗教の源となった。
死をなくすことができたなら、
あらゆる宗教は
この世から消え失せるだろう。
 
死とは、
「生」を深刻にとらないようにという
神からの注意だ。
生は束の間のもの、
やがては過ぎ去らねばならないものだ。
だから
「生」を深刻なものと捉えずに
楽しめば良い。
なぜなら死がやって来れば、
この「生」で築き上げてきたものなど
全て消えて失せてしまうのだから。
唯一瞑想だけが、
死によっても
破壊されることのないものだ。
瞑想だけが、
この世にありながら
この世のものではないもの。
それは「生死」を超えたものなのだ。

だから、
泣かなくても良い。
あなたの父親を
可哀相だと思わないことだ。
というのも55歳で死のうが、
95歳で死のうが、
違いはないのだから。
ある人の夢は少し短く、
ある人の夢は一寸ばかり長い。
だが夢は夢に過ぎない。
夢の長さなどに、
詰まるところ何の意味もない。
どれ位長い夢を見るかなど、
どうでも良いことなのだ。

人は55年、95年、500年と
生きることも出来る。
だが死が訪れれば、
全ては消え失せてしまう。
それは丁度、
朝が訪れて目が覚めれば、
夜の間見ていた夢の世界は、
あっと言う間に
意味のないものになってしまうのと
同じようなこと――
あらゆる意味は失われてしまう。

だから、
父親の死を
「注意を促すもの」ととりなさい。
なぜなら、
父親や母親といった
身近な人が死ぬ時には、
あなたの中の
何かも死ぬのだから。
父親は、
あなたの外側だけに
「いる」のではない。
彼の実存は
あなたの実存にも重なっているのだ。
あなたは彼を通して生まれてきた。
彼はあなたを
この「生」に運んできた媒体だ。
そして、
彼はあなたの
内なるスペースの一部でもある。
父親や母親が死ぬ時、
あなたの中の何かも
彼らと共に死ぬのだ。
あなたは以前と同じ人では
なくなってしまう。
そこにはギャップが生まれる。
父親に代われる人、
母親に取って代われる人はいない。
彼らはかけがえのない人なのだ。

だから、
嘆き悲しむのではなく――
それは死を避けようとする
マインドの策略だからだ……
嘆き悲しみ始めれば、
あなたの周囲に霧や靄がかかり、
死の真実が
見えなくなってしまう。
死は何の感情も交えずに、
直視すべきものだ。
そうすれば、
死は瞑想になり得る。
感情に流されることなく、
まっすぐに死を見つめてごらん。

あなたの父親は死んだ――
それは事実だ。
そして、
あなたが泣こうが泣くまいが
何も変ることはない。
だったら泣くことに
何の意味がある? 
父親のことを嘆き悲しもうが、
悲しまなかろうが
何も変わらないのだ。
死は起こった、
それを元に戻すことは出来ない。
だったら、
時間を無駄にするよりも、
死を見つめてごらん。
死に深く見入ってごらん。
すると父親の死の中に、
あなた自身の死、
そしてあなたの子どもたちの死、
孫たちの死が
浮かび上がって来るのが
見えるだろう。
父親の死の中に
祖父、曾祖父、さらにその祖父、
あなたの家系に連なる人びとの
死を見ることだろう。

死は普遍的な事実だ――
誰もが例外ではない。
その例にもれる者はいないのだ。
金持ちも貧乏人も、
知性ある者もない者も、
白人も黒人も、
強者も弱者も、
信心深い者もそうでない者も、
聖者も罪人も、
誰も例外ではあり得ない。
死は全く普遍的だ。
死の事実に見入ってごらん。
するとこの存在にある
全てのものが死んでいくのが
分かるだろう。
そして理解することで
深い洞察――
死ばかりではなく
「生」についての洞察も
得られるだろう。
というのも、
死を運んで来るのも
「生」なのだから。

死は「生」の中に包含され、
組み込まれている。
子どもは誕生すると、
まさにその最初の呼吸から
死にはじめる。
ひとつ呼吸する度に、
子どもは「ひと呼吸分だけ」
年老いて行く――
 
何かが死んだ。
まさに誕生の最中から
何かが死に始める。
死が覆い尽くすのには、
55年、70年、90年と時間を要するが、
「生」はその中に
死の種を携えているように思える。

感情に邪魔されることなく、
この父親の死に見入ってごらん。
それを瞑想として見るのだ。
直視してごらん。
するとまさにその死と対面することで、
「生」についての
深い理解が生まれるだろう。
そうなれば、
あなたの「生」は
以前と同じものではなくなる。
同じままであることに何の意味がある? 
あなたの父親のしてきたことには
何の意味もなかった。
あなたも父親と同じことを続け、
死がやって来れば
全ては水の泡に帰する。
だから、そうではなく、
死を以てしても
破壊されることのない
何かをしてごらん。

そして私はあなたに言おう、
死を以てしても
破壊出来ないもの、
それは瞑想だ。
あらゆるものが
死の前では儚い。
瞑想だけが違う。
内なる世界に深く進むにつれ、
死からは遠ざかって行き、
内なる世界から遠ざかるだけ、
死へと深く向かうことになる。
最奥の核には
死というものは存在しない。
そこから遠く離れた表層には、
死だけが存在する。
それ以外は何もない。
外側に目を向ければ
死を見ることになり、
内側に向かえば
「不死」を見いだすことになる。
そして、
この「不死」こそが、
瞑想とは何たるかについての全てだ。
普段、
死について考える人は誰もいない、
だが何かこのような不幸が起こった時……
父親、母親、愛する人はもはやいない、
子どもが死んでしまった――
このようなまたとない瞬間を
逃してはならない、
無駄にしてはならない。

だから、
先ず感情から抜け出すことだ。
それは何の役にも立たない。
 
・・・
よろしい、
死を瞑想としてごらん――
そしてもっと愛しなさい。
愛と死は
非常に似通っているのだから。

Osho - The Great Nothing  

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愛と死は、非常に似通っているのか・・・
「そこ、もうちょっと詳しくお願いします!」
とOSHOに聞きたいところだ。









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Last updated  2014.03.23 09:14:39
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