テーマ:徒然日記(23462)
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子曰く、 吾、十有五にして学に志し、三十にして立つ。
「斯くあるべし」「斯くたるべし」という含みがあるにしても、孔 子にし て「斯く」あったのであれば、私等は少なくとも二十歳は下駄 をはかせて 欲しいものだが・・・
天命を知らねばならぬ歳になるのに、明確な志しをもった覚えも無く、 未 だに立ったと明言できる程の自信も無く迷い続けている現在の「自 分」そ のものについて考える事が最近多くなって来た。 現在の「自分」を成して いる由来の多くは過去にあるが、それは「後 悔」などという類のものでは ない。他人から見れば「後悔しろよ」と 突っ込みを入れられる様な半生だ と認識してはいるが、過ぎ去り帰ら ぬものへの「後悔」という念が、イコ ール今への「甘え」であるとい う事を知る位の経験知は持ち合わせている。 シニカルな意味合いで捉えられると困るのだが、現在と過去の自分の 在り 様を肯定的に「面白い(かった)奴」「変な(だった)奴」と笑 い飛ばす 様な心的作業をよくしている。
大雑把の捉えると、たとえば・・・ 1)若い時には自分が「他とは違う存在」「平凡を否定する存在」であ る 事を欲するもので、私も意図的に無理をして背伸びした奇怪な 行動や言動 に走ったものだが、実はそんなことをしなくても充分に 自分は「変わり者」であったという事に気付いた時の可笑しさ。 2)自分が臆病で気弱だという自覚があり、他人に悟られまいとビクビ クしてきたが、実は局面局面で並外れた大胆な行動が多くあった事 に気付いた時の驚き。 3)経済的に「怠け者」であるという自覚はあった。「なんとかなるさ」 という楽観的な想いを振り回しながらも、どこかで(そんな都合良 くもいかないよな)という直視出来ない想いも持ち続けてきた。 実際に行き詰った現状を目の前に「やっぱりか!」という覚悟とも 諦めともつかぬ可笑しな心象。 ・・・等など・・・
現実に実存するのは「五十にして天命ならぬ手前(てめえ)を知った貧 乏な変わり者のオジさん」が一人。「これまで」は笑い飛ばせても「こ れから」には笑えそうもない現実が待っている。 「これから」の「自分そのもの」を考え続ける為のキーワードは「没頭」 かなとは現在漠然と思っているのだが・・・
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最終更新日
2009.06.12 01:56:32
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