テーマ:徒然日記(23462)
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私の家内は老人介護施設で機能訓練士をしているのだが、毎年施設 の近くの保育園児を招いて、御老人達が紙芝居を披露するという事 を、訓練の一環も兼ねてやっている。 台詞に抑揚をつけたり、園児に解かり易いように話す事も良いリハ ビリになるし、何より小さな可愛い子供達と触れ合う事で心安らぐ らしい。 手前味噌だが良い取り組みだなと思う。
紙芝居一式の用意は家内が担当し、毎年我が家で制作する事になっ ている。長女が絵を描くので作画を担当し、台詞の部分をパソコン とコピー機を使って私と家内がつくる。 今年のお題は「泣いた赤おに」 日本人の誰もが知っている話で私も好きな童話だ。 NHKが作った有名な人形劇があるが、これには私も泣かされた。 私はそんなに涙腺は弱い方では無いのだが、どうもこの話は私の琴 線に触れる様であり、涙腺を刺激する。 今回も、絵本を参考にして台詞をパソコンに入力していたのだが、 ラストで青鬼の残した張り紙を読んで赤鬼が泣く下りで胸が詰まっ た。
この話の何処が私の心を打つのか考えてみた。 まず、青鬼の自然で見返りを求めない利他性と、サッと赤鬼の前か ら姿を消してしまう潔さに心が動く。 赤鬼が人間と友達になりたいと思っている事に対して青鬼は「そん なの無理だよ」という否定も、「頑張っていれば解かって貰えるよ」 という傍観者的態度もとらない。 村人を騙す形にはなるが、青鬼は、赤鬼の良さを人間に解かっても らう為に現実的な行動をし、その上で村人を騙した責任まで背負って 姿を消したのだ。 素晴らしいではないか この話の主役は間違いなく青鬼なのだ。 そんな素晴らしい友人である青鬼が居なくなってしまった。 その赤鬼の「喪失感」と「後悔」がまた私の心を打つ。
赤鬼は私であり、村人であり、貴方なのだ そして青鬼のような人を待ち、青鬼の様な人に成りたいとも思ってい る人間なのだろう。
御老人達と、園児達の心に残る紙芝居になれば良いなと思う。
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