テーマ:政治について(20208)
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菅総理が内閣改造の為の調整に入ったらしい。 13日の党大会後に表明するらしいが、何の為の内閣改造なのだろう か? 自ら下衆な政局の渦の中に飛び込んで自己保身を図ろうとする 姿勢が露骨に伝わってくる。 「改造が必要だ」と考えた所以に着目留意すれば、他に遣るべき事が 山の様にある事は明白なのだ。
ニュースを賑やかしている小沢との確執に関しても本質からズレて いる。私は民主党政権を選択した時から小沢批判をずっと続けてき ているが、現在の無理矢理な検察審議会や政倫審を絡めた小沢叩き には本当にウンザリしている。 強制起訴は結局空振りに終わるのは目に見えているし、政倫審等で 何が出てくる訳でも無い。その結果の流れで小沢肯定論が息を吹き 返せば日本の政治は再び大きく停滞するだろう。 http://plaza.rakuten.co.jp/unskilfulsloter/diary/201009010001/ そもそも、現状での法整備に不備があるにせよ、法的に問えないものを 立法府に持ち込んで道徳的に追求するというセンスに閉口する。 政治家が小沢的手法に正当性が無いと考えるなら、それを規制する法案 を党派を超えて全会一致で提出すれば良い。無意識下か意識下かは解か らぬが、それが自らの首も絞める事になるのが解かっているから、菅内 閣も野党も愚かなパフォーマンスとしての「吊るし上げ」でお茶を濁す 事に執着する事になるのだろう。
民主党政権は未だに国家のグランドデザインを提示出来ず、小手先の対 処主義に陥る事で泥沼の状況にある。このままでは自民党的政治へ先祖 がえりしてしまうだろう。 此の場に及んで菅内閣は目指すべき国家像についてのみ語り、野に下る 事を恐れずに黙って鳩山と小沢を切るべきであった。下らぬ揚げ足取り である野党の問責など相手にせず、それが齎す不利益としての予算成立 と政策実行の遅延への評価こそ有権者に委ねればいいのだ、
現在の混沌からの脱出の為には、地道に「思い」のひとつひとつを 「国民へ提示」し、その評価としての国民の「信任」を得るという事を 繰り返し繰り返し行うしか無いだろう。 民主党政権のその視線の先にあったであろう「国民の幸福」が、何時の 間にか「政局」や「野党」に変貌し固定されてしまっている事を菅総理 以下、全ての民主党の政治家は認識すべきだろう。
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最終更新日
2011.01.09 01:20:21
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